スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

恋猫 説明

これまで同様、以前のコピー本からです。
前作のとリンクしてますが、そんなに関わりないので単発として読めます。
miuで出て来たいじめっ子のお話です。

登場人物
須田ヒカリ 今回の主人公
卯木冬馬  幼馴染み
佐伯祐希  一年生
早田    ヒカリの同級生。新キャラ
スポンサーサイト

恋猫1



 世の中は理不尽で満ちている。
 ヒカリは、物心付く前から世の理不尽を噛み締めていると言えた。
 両親は年の離れた夫婦だった。その為なのか、夫婦揃って第一子の誕生に期待を掛けていたらしい。医師に言われたのか、或いはただの思い込みでか、二人とも生まれる子供を女の子と決めつけていた。それは当たっていたが、母親が軽い衝突事故に遭い流産してしまった。
 両親は娘の為に用意していた名前を第二子にそのまま付け、ヒカリの性別に関係なく女の子として育てた。
 髪を梳かしリボンを付け、歩く度にヒラヒラと揺れるスカート。ことある毎に「女の子なんだから」と言われ、ヒカリは疑問も抱かず従っていた。
 姉の流産を母親はなかった事にしたかったのだろうと思う。事故に遭わなければ、あの日に出かけなければ。そんな後悔を続けて、少しずつ狂っていったのだ。
 年配の資産家と結婚した母親は肩身の狭い思いをしていたのだろう。父親もそれを知っていたから妻の狂乱に気付かぬふりを続けた。父親は、面と向かって女の子扱いこそしなかったものの、ヒカリを長男としても扱わかなかった。
 それでもヒカリは両親を恨んではいなかった。ただ自分の境遇を理不尽だと思うだけだったし、理不尽と言うのなら子を失った両親の方がその思いを強いだろうと分かっていたのだ。それに小学校に上がった年に母親は他界しているのだ。故人を責めたところでどうにもならない。
 ただ赤の他人に名前や容姿を揶揄されると頭に血がのぼってしまう。
 物心付くまで女の子として育てられた所為か、ヒカリは普通と違って見えるらしい。小学生の男子からしたら、それは格好の標的だったのだろう。からかって、いじめて泣かす為の標的だ。
 しかし、見た目とは違ってヒカリの気性はかなり激しい。腹が立ったらすぐに殴るし、相手が鼻血を流しても蹴り続ける。母親が死んでからは女の子として振る舞う必要もなかったので、尚更だった。
 その頃に卯木と知り合った。手に負えない乱暴者となったヒカリの監視役兼、幼馴染みとして宛てがわれたのだった。
 卯木は、同い年とは思えない長身で、腕力で勝てるような相手ではなかった。更には頭も切れて年長者のような落ち着きまで持ち合わせていた。
 卯木は喧嘩ばかり繰り返すヒカリを助ける事はしなかった。無関係を装い、ヒカリが勝利したあとに決まって「須田はバカだな」と言うのだった。
 「相手をボコボコにしてもしょうがないだろ。報復されて、それに仕返しをして、ずっと同じ事の繰り返しじゃないか」
 卯木の言う通りだった。ヒカリは上級生のグループに目を付けられ、何度も喧嘩を繰り返していた。だからと言ってバカにされたのでは面白くない。顔を顰めて睨み付けるヒカリに、卯木が苦笑を漏らす。それがまた年齢に似合わぬ大人っぽい表情だったのをヒカリはよく覚えている。
 「大人を利用すればいい」
 卯木はそんな事を言う小学生だったのだ。
 それからヒカリは上級生に絡まれる事がなくなった。その代わり、全校生徒から遠巻きにされた。誰も近づかないのだから、当然のようにヒカリが喧嘩する事もなくなった。
 卯木にその理由を訊ねてみたが、はぐらかされるだけでハッキリとした答えはなかった。だが、当時から今に至るまでヒカリは確信している。
 何をどうしたのかは分からなかったが、卯木が何かしたのだ。
 恐らく父親が卯木に何とかしてくれと頼んだのだろう。そんな事を頼む親も親だが、それをアッサリとやってのけるのが卯木という男なのだ。屈折しているとは言え単純なヒカリに適う相手ではい。
 その卯木が目の前でデレデレしている。言い忘れたが、卯木はこの界隈では知らぬ者のない女誑しだ。男らしい外見と計算高い頭脳を駆使して女達を口説く。それでいて成績優秀で生徒会長を勤めているのだから、女達にとって卯木と関係を持つのは一種のステータスとなっていた。そんな男が鼻の下を伸ばして下心一杯といった顔をしているのだ。一生、自分には勝てないと思っていた相手のそんな姿を見て、ヒカリは何となく裏切られたような気持ちになってしまう。

恋猫2

 放課後の生徒会室。
 試験期間なので殆どの部活動は禁止され、校内は静まり返っている。聞こえるのは卯木の猫なで声と、時折挟まれる佐伯の相槌だけだ。どうやら試験が終わったら遊びに行く約束をしているらしい。
 一年の佐伯は先輩である卯木に逆らえないのか、曖昧な微笑みと相槌ばかりだ。いや、逆らえない理由はそれだけじゃない。
 この場にヒカリがいなかったらキスと抱擁、それ以上の行為に及んでいた筈だ。つまり、二人はそういう関係なのだ。
 男同士で気持ち悪い、とはヒカリも思わない。
 つい最近までヒカリも佐伯を手に入れたいと思っていたからだ。
 その思いは恋とか愛とか、そういう浮ついたものではなかった。かと言って何だったのかと問われても返答に窮してしまう。どうしてもそれに名前を付けろと言うのなら、恐らく『支配欲』だったのだろうと思う。
 幼い頃、母親に支配されていた鬱憤を晴らしたかっただけだ。
 佐伯は小さい時のヒカリとよく似た整った顔立ちをしている。そして投げやりな眼差しと赤い唇からは溜め息ばかり。体つきは華奢で、強く抱きしめたら折れてしまいそうだ。だから、なのだろう。強く言えばこちらの言いなりになると思えてしまう。しかし、それは見る者の幻想であって、本当の佐伯とは異なる。
 見た目からは想像出来ないほど、強情なのだ。何をされても涙どころか表情を変える事もない。そのギャップにヒカリはますます惹かれた。だが、アッと言う間に卯木が佐伯を攫ってしまったのだ。
 どうやら二人の間で待ち合わせが済んだらしく、それぞれが帰り支度を始めている。日曜日に映画を見に行くらしい。上映時間を調べて置くと言う卯木に佐伯が頷き返している。それをぼんやり眺めていると、佐伯がふと振り返りヒカリを見る。
 「須田先輩も一緒に帰ります?」
 佐伯に声を掛けられ、ヒカリは頷こうとして思いとどまる。
 視界の隅で無視出来ないほど存在感を放った卯木が物凄い目でヒカリを睨んでいたのだ。
 「いや……いい。二人で帰れよ」
 卯木と付合うようになって佐伯は変わった。ヒカリは佐伯をいじめていた上級生だった筈なのだが、妙に懐いて来る事がある。理由は考えるまでもない。ヒカリが卯木の幼馴染みだから気を遣っているのだ。当の卯木がそれを歓迎していないと言うのに。
 だからヒカリは佐伯に対して煮え切らない態度になってしまう。
 生徒会室を出たところで二人とは別れ、教室に向かう。
 意味はない。ただ単に反対方向だったから「忘れ物した」と言って別れるには丁度良かっただけだ。
 ゆっくり歩けば、追いつく事もないだろう。何だったら教室で少し時間を潰せばいい。どうせ誰もいないだろうし。
 そう思いながら教室の戸を開けると、意外な事に人影がある。
 女子が三人、一人の男子を囲むようにして立っている。
 どうやら面倒な場面に出くわしてしまったらしい。ヒカリがそう思ったのは、一人の女子が目を赤くして涙を堪えているのが見えたからだ。
 「ちょっと須田、何よ!」
 泣いている女子の隣にいるのはお節介で有名な佐久間だった。女にしては大柄で、気が強い。ヒカリ一人ではとてもではないが適わない相手だった。
 「すぐ出て行くから気にするな」
 肩を竦めて自分の席に向かう。それを機に堰を切ったように女子が泣き出し、佐久間の怒鳴り声が響き渡る。
 「信じらんない、須田の所為だからね!」
 とばっちりもいい所だ。
 この状況を見る限り、泣いている女が真ん中に立つ男子に告白して振られたという事なのだろう。泣かせたのはその男子であってヒカリには何の関わりもない。しかしそう考えないのが女というものだ。だいたいからして告白するのに誰かに付き添って貰うなんて馬鹿げている。
 ヒカリは溜め息をついて「バカか、お前ら」と呟く。
 「何でもかんでも人の所為にするな、ブス」
 思わず言ってしまってからすぐに後悔する。佐久間だけでなく女子全員がヒカリを睨んで来たからだ。だが、こうなったら引き下がれないのがヒカリの性格だった。
 「お友達と一緒に告白とか、バカみてぇ。三人掛かりで囲んじゃって脅迫じゃねーの、それって」
 少しは自覚があったのか、女三人がきまり悪そうに互いに視線を交わす。それでもヒカリは言葉を緩めない。
 「だいたいからして、そんな茶髪野郎に告白なんかして、ヤッて下さいって言ってるようなもんじゃねぇか」
 ヒカリからは男の後ろ姿しか見えず、目に付いた栗色の髪からの印象で勝手な事を言ってしまう。いや、肩や背中から遊び人特有の軽い雰囲気が滲み出ている。
 「盛りのついた猫じゃあるまいし、学生の本分はお勉強だろ。お前ら試験で赤点取らない自信あんの?」
 「ムカつく、あんたなんて取り巻きがいなかったら何にも出来ない癖に!」
 佐久間が悔しそうに吠え立てる。
 影で自分がどんな風に言われているかぐらい知っていた。大勢の男を従えて女王様のように振る舞っている。傲慢で鼻持ちならなく、金で何でも思い通りにしようとする。それがヒカリに対する周りの評価だった。
 ヒカリだってそれを否定しようとは思わない。実際、金で何でも言う事を聞いてくれる便利な連中だったのだ。しかし今となってはどうでもいい事だ。
 ヒカリは顔色を変える事なく言い返す。
 「あんな奴ら、こっちから追っ払ってやったよ」
 「え、」
 意外そうな声を上げたのは佐久間ではなく、残り二人の女でもなく、それまでバカみたいに突っ立っていた男だった。
 勢いよく振り返ったその顔を見て、ヒカリは内心首を傾げる。
 どこかで見た事あるような気がするんだけど、誰だっけ……?
 茶色の髪は、一見すると無造作としか見えないが、実際には丹念にセットされているのだろう。ワックスを付けているのか、毛先までツヤツヤだ。
 その前髪の下にある目は少し垂れ気味で、形の綺麗な唇は面白くない状況であっても笑みを浮かべている。それらから連想されるのは典型的な女たらし、そう言ってしまっては言い過ぎだろうか。
 「あぁ……えっと、早田だっけ?」
 同じクラスなのだから顔と名前ぐらいは覚えている。だが、ヒカリが感じたのは、もっと昔に会った事があるような、微妙なデジャブのようなものだった。
 「須田くんって今は取り巻きいないの?」
 「……そうだけど」
 どうして早田がそこに食いつくのか理解出来ない。
 こうやって告白されてるぐらいなのだ。名前と一緒に思い出したのだが、早田は女に関して滅茶苦茶マメだと噂だった。
 ルックスもさる事ながら、誰にでも愛想が良く、軽薄な笑顔に釣り合った口調で自然と口説く。それが早田という男なのだ。
 間違ってもヒカリが仲良くしたいと思うタイプではない。それなのに、早田は嬉しそうな笑顔と共にこう言う。
 「わぁ、だったら僕と仲良くなろう?」
 これには流石に女共も驚いたらしい。コソコソと何やら話し合って、白けた顔で「じゃ私たち帰るわ」と言う。呼び止める間もなくそそくさと出て行く三人を見送り、ヒカリは早田に目を向ける事なく言い返す。
 「誰がなるか、ボケ」
 取り巻き連中と縁が切れてセイセイしているところなのだ。それなのに、この軽薄を絵に描いたような男と『お友達』になろうと思うほど、ヒカリは酔狂ではない。
 「バカらし……俺も帰る」
 鞄を掴んで教室をあとにする。時間稼ぎとしては充分な筈だ。

恋猫3

 振り返る事なく廊下を進み、階段を降りる。背後から足音が聞こえる気もするが敢えて無視する。
 靴を履き替えたところで、それが気の所為でない事が分かる。
 「須田くんって、足早いんだね」
 天真爛漫そのものと言った笑顔で早田が首を傾げる。ヒカリがどんなに睨みつけてもその笑顔は消えない。
 本当にバカなのかも知れない。
 同じクラスと言うだけで、これまで口をきいた事すらなかったのだ。早田がバカなのかそうでないのか、ヒカリには知りようがなかった。
 肩を竦めて歩き出すと、当然のように早田が横に並ぶ。茶色の毛先がフワフワと揺れているのを横目で盗み見て、ヒカリは苛々と呟く。
 「遊びならもっと上手く遊べよ。面倒な事に巻き込むな」
 暗に告白なんかされてんじゃねーよ、と言ったつもりだった。
 佐久間に庇われるようにして立ち去った女は、どう見ても奥手そうで、早田のような奴とは釣り合わない。恋愛そのものに慣れてないように見えた。
 早田はそれに「んー、」と相槌ともつかない声を漏らして、「でもさ」と続ける。
 「片思いのままだと辛いじゃん」
 その言葉が意外だったので、思わず立ち止まり早田の顔をマジマジと見つめる。
 ヒカリの視線に照れたのか、前髪をかきあげ早田がニヘラッと笑う。
 「ちゃんと終わらさないと次の恋に進めないでしょ?」
 「遊び人は言う事が違うな、」
 茶化したつもりはなく、純粋に感心したのだった。早田に関する評価がヒカリの中で少し上がる。優しいじゃないか、と。もっと自分本位で相手の事などまるで考えてないのだと思っていたのだ。
 それに早田が不満そうに唇を尖らせるのを見て、ヒカリはムッとする。
 「何だよ、誉めてるのに」
 「誉められてるように聞こえないよ。それに僕、そんなに遊んでないからね」
 遊び人が自分の事を遊び人だと言う筈がない。だから、ヒカリは「はいはい、」と聞き流す。
 「本当だってば、中一の時からずっと片思いだし」
 それが本当なら早田は一人の人間を五年間も思い続けている事になる。執念深いと言うか何と言うか。しかし、だからこそ先ほどの言葉が出て来たのかも知れない。
 「誰?」
 好奇心から訊ねてみるが、早田はクスッと笑って「内緒」と戯ける。それがムカついたので、足を踏んでやる。すると、悲鳴を上げながらも楽しそうに笑っている。
 「僕と友達になってよ」
 「……どうして」
 笑顔のまま自然な口調で早田が言う。さっきから何度か言われているが、その理由が分からない。自分が手に負えない存在である事をヒカリは充分に自覚しているのだから。
 「須田くんと仲良くなりたいから」
 当たり前のようにそう言われて、とうとう根負けしてしまう。
 「好きにしろ、」
 突っ慳貪に言い返すと、早田が満足そうに笑みを深める。それが子供のように無邪気な笑顔なので、ヒカリもつられて少し笑ってしまう。

恋猫4

 翌日からヒカリの傍に早田が付いて回るようになった。
 これまでの取り巻きと違って、ヒカリの言う事を聞く訳ではない代わりに金を要求する事もない。ただ、一緒にいて能天気な話をしてヘラヘラ笑っているだけだった。
 クラスの連中はそれを見て怪訝そうにするだけで誰も近づいては来ない。ヒカリの父が学校に多額の寄付をしているのが関係しているのだろう。問題が起こった時、責任を取らされるのは他の生徒たちなのだ。だから誰もヒカリに深く関わろうとはしないのだ。
 しかし佐久間だけは時折ヒカリを睨み付けて来る。昨日の事がよほど腹立たしかったのだろう。そう判断して、そよ風ほどにも気に掛けてやらない。元々、佐久間のようなお節介が大嫌いなのだ。
 休み時間の度にやって来てはどうでもいい事を話す早田の相手をしている方が気が楽だった。耳を傾けてみると、早田が意外と読書家だと言う事が分かる。学校で出される課題本の他にも雑多な本をよく読んでいるらしい。
 気になって訊ねてみると、卯木には及ばないが成績は上位だし、頭はいいのかも知れない。
 「須田くんも成績いい方だよね?」
 目尻を下げて早田が言う。それに頷き返して、ふと違和感を覚える。だが、それが何なのか掴み切る前に早田が言葉を続ける。
 「俺、数学が苦手でさ。明日の試験、今から憂鬱だよ」
 「個人授業、してやろうか?」
 知らず知らずのうちに早田のペースに乗せられていたのかも知れない。そう気付いて慌てて取り消そうとするが、「いいの?」と嬉しそうな声を上げる早田に今更ダメとも言えない。
 仕方なく早田を連れて教室を出たところで、卯木と出くわしてしまう。
 「冬馬、」
 呼びかけると、何の用だとでも言わんばかりの顔つきでヒカリを振り返る。そして怪訝そうに眉を寄せる。
 その表情の意味を捉え損ねて、ヒカリは更に怪訝な顔つきをして見せる。
 「どうしたんだよ」
 「ああ、いや。何でもない」
 そう言いながらも卯木の視線は、ヒカリの横にいる早田に向けられている。
 知合いか?
 そう首を傾げるヒカリに、卯木が驚きの言葉を投げかける。
 「確か、ヒカリと同じ中学だったよな」
 誰が。
 いや、この場合どう考えても早田しかいない。現に卯木は早田を見つめたままだ。
 ヒカリは中学を入学して一ヶ月足らずで転校した。それまでは卯木と同じ学校だったのだが、問題を起こして強制的に転校させられたのだ。
 女みたいな名前と顔。ヒカリにとってそれはコンプレックスでしかない。その事をからかって来た上級生に暴行を加え全治三週間の怪我を負わせてしまった。そんな経緯だったので、新しい学校ではクラスに馴染もうとせず、父親が付けたお目付役を連れ歩いていた。だから、ヒカリは早田が同じ中学だと知らなかった。
 しかし不思議なのはどうして卯木がそれを知っているのかだ。
 目で問い掛けると、珍しくきまり悪そうに肩を竦めて見せる。そして曖昧な口調で「いや、何でもない」と言って呼び止める間もなく、立ち去ってしまう。
 その後ろ姿を見送り、ヒカリは早田に目を向ける。
 「俺と同じ中学だったのか?」
 友達になろうと言った割に水臭い。そう思って軽く詰ると、早田が目尻を下げてニコリと笑う。
 「僕、中学の時は地味だったから須田くん覚えてないだろうなって思って」
 だったら、言いたくないのも分かるような気がする。
 ヒカリだって転校した理由を自分から打ち明けた事はない。自慢出来る事ではないからだ。半ばこじつけて、それと同じ心理なのだろうと理解する。

恋猫5

 家に早田を連れて帰り、自分の部屋に通す。
 小学校に上がる前の年に母親は他界していたし、仕事人間の父親は深夜になるまで帰らない。昼間は通いの家政婦が来ているが、それも夕方には帰ってしまうので無人なのだ。
 だからヒカリは深く考えずに早田を連れて来たのだが、自分の部屋に他人がいる風景を見て、何だか新鮮な気がしてしまう。
 思い出してみれば、これまで誰かを招いた事などなかったのだ。昔は卯木が来る事もあったが、用が済んだらさっさと帰るような奴なのだ。早田のように寛いでいる姿など見た事もない。
 「何か飲む?」
 「お構いなくー」
 軽い調子で答える早田に小さく笑ってキッチンへと向かう。
 冷蔵庫を開けると、家政婦が作り置いてくれた惣菜とペットボトルの麦茶があった。それをコップに注いで部屋に戻る。
 ヒカリのベッドを避けて床に座った早田がそれを受け取る。それ見て、ヒカリはふと思い出す。
 「中学の卒業アルバム、確かあったよな」
 「え?」
 突然の言葉に戸惑ったのか、早田が狼狽した声を上げる。それを無視して本棚に向かい、目を凝らす。
 思い出は何もなかったが捨てた記憶もないので、どこかに紛れている筈だ。
 程なくして目当てのものを見付け、床に座り込んでページを捲る。
 「早田は何組だった?」
 しかし返事はない。顔を上げると、早田が拗ねたように横を向いている。
 「おい、早田」
 すぐ傍にある早田の足を軽く叩いて返事を促す。すると、不貞腐れた声で「三組」と返事がある。それを聞いてヒカリは首を傾げる。
 「同じクラス……?」
 中学時代のヒカリはクラスでは浮いた存在だった。馴染もうと努力しなかったのだから当然だった。それでも、同じクラスだったのなら覚えている筈なのだ。何しろ特徴的な泣き黒子があるのだから。しかしヒカリには早田に関する記憶などまるでない。
 「須田くんと違って本当に地味だったから」
 そう苦笑混じりに呟いて話はこれでおしまいとでも言うように教科書を広げる。
 仕方なくその隣に座って早田の試験勉強に付合う。
 苦手だと言うだけあって、公式一つ覚えるのにも苦労している様子だ。見兼ねてアドバイスするのだが、どうも上手く行かない。
 物覚えが悪い訳ではない。寧ろその逆だ。暗記だけで言うなら、教科書を丸ごと覚えられそうなぐらいだ。頭の回転も早い。なのに、どうでもいいケアレスミスを連発するのだ。どうやら数字そのものに苦手意識が働いているらしい。その所為なのか、注意力散漫でどこか上の空だ。
 「もうやだ」
 範囲の半分も進んでなかったが、ヒカリは教科書を投げ出し仰向けに倒れる。
 元々が飽きっぽい性格をしている上に、手応えを感じなくて面倒くさくなってしまったのだ。
 「ごめんね」
 おっとりと目尻を下げて笑う早田からは真剣味が感じられない。それを見上げてヒカリは身体を起こす。
 「お前、数学ぐらい出来なくても構わないとか思ってるだろ」
 早田がそう思ってるとしても無理はない。総合すれば成績は決して悪くない。困ったように笑うだけで何も言い返して来ないのが証拠だった。
 「だったら、何か目標立てればいいんじゃないか?」
 ヒカリがムキになる理由など何もなかったが、こうなったら後には引き下がれない。数学さえ上がれば十番以内に入るのだって夢ではないのだ。だったら、その通りにして見せる。
 「目標?」
 キョトンと首を傾げる早田に、ヒカリは大きく頷き返す。
 「次のテストで十番以内に入れ」
 「何で?」
 即座に問い返されて、ヒカリは「うっ、」と言葉に詰まる。本人がその必要を感じていないのに、それを強要する権利なんてないと気付いたのだった。
 しかしニコッと微笑みながら早田が続けて言う。
 「だったらさ、ご褒美ちょうだい?」
 「どうして俺が」
 「いいじゃん」
 そんなやり取りを躱して、ヒカリは面倒くささが先に立ち、頷いてしまう。
 「何が欲しいって?」
 「夏休み、須田くんと遊びに行きたいなぁ」
 それぐらい理由なんか付けなくても付合ってやる。そう思ったが、「別にいいけど」と曖昧な返事をする。
 「じゃ、決まり」
 嬉しそうにもう一度笑い、早田が帰り支度を始める。呆気に取られながらそれを見つめ、ヒカリは思わず口を挟む。
 「そんなんでいい訳?」
 遊びに行くぐらい、いつだって行けるだろう。ご褒美と言うからには、もっと何か特別な物の方がいいんじゃないのか?
 ヒカリがご褒美を出す筋合いではなかったが、そんな事は頭から抜け落ちていた。
 怪訝な顔をするヒカリに早田がコクンと頷く。
 「うん。僕、頑張るから」

恋猫6

 目の前に広げられた紙をマジマジと見つめる。
 ヒカリ達の通う学校では、個人情報保護の観点から試験の順位を張出す事はしない。その代わり、各生徒にそれぞれの成績と順位を印字したプリントを配る。
 ヒカリはいつもと同じく一桁台後半をうろつき、総合七位。だが、今、目の前にあるのは早田のものだ。
 総合二位。ヒカリにとって、それは一位を意味する。何故ならヒカリは卯木を数に入れないと決めているからだ。
 「どんだけ勉強したんだ、お前」
 自分で出来るんじゃん。これなら別にヒカリが勉強を教える必要などなかったのだ。
 呆れた声を出すヒカリに向かって、早田が「ね?」と笑う。
 「夏休み、どこ行こうか?」
 「え、まさか……その為かよ」
 それぐらい試験の結果に関係なく付合ってやるよ。そう言おうとするが、どちらにしろ付合う事になったのだ。まぁ、いいかとヒカリは肩を竦める。
 「どこでもいい。何なら泊まりでもいいぞ」
 どうせ他に予定などないのだ。予備校もバイトもヒカリには縁がない。早田以外に友達と呼べる相手もいなかったし、夏休み中付合ってもいいぐらいだった。
 「じゃ、今日の帰りに打合せしよ?」
 そんな話をして、ふとした思いつきからヒカリは早田の家に行きたいと駄々を捏ねてみる。友人になろうと言い出したのは早田の方なのだ。それなのに同じ中学だった事を隠していたのは辻褄が合わないような気がしていたのだ。話しかけるキッカケとしてはこれ以上のものはない筈だからだ。
 何か意図があって隠していた。そう思った方が自然だろう。
 その意図とは何か。
 そう考えた時、ヒカリがすぐに思いついたのは『復讐』という言葉だった。
 ヒカリには自分がいけ好かない奴だという自覚が充分にある。父親の権力をかさに我が侭放題。いつも取り巻きを連れ歩いていたが、その取り巻きからも嫌われていたのだ。
 しかも中学の時は卯木というストッパーもいなかったので更に酷かったと思う。
 記憶にはなかったが、もしかしたら早田を傷つけるような事をしたのかも知れない。それを根に持って、早田は自分に近づいて来た。そう思えば全ての辻褄が合うような気がするのだ。
 だが、厄介な事にヒカリはそこそこ早田の事を気に入っている。口をきくようになって分かったのだが、早田は女に限らず誰に対しても親切なのだ。寧ろ女に対して奥手とも言える。だからこそ告白されてもそれを上手くあしらえず、佐久間のような奴に因縁を付けられるのだ。
 外見で判断していた分だけ、そのギャップにヒカリは好感を抱いていた。だから、過去に自分が何か仕出かしたのなら、キチンとそれを謝罪したいと思った。
 その為には早田に何をしてしまったのか。それを知る必要がある。
 中学時代の話なので、五年前。
 そこまで考えて、ふと何かが心に引っかかる。いつだったか早田が『五年』という言葉を口にしたのを思い出したのだ。
 何だったろうかと考えて、漸く思い出す。早田が誰かに片思いをしている年数だった。
 ダメだ、全然関係ない。そうヒカリは溜め息を零す。
 「んー、散らかってるから今日はちょっと」
 当たり障りのない言葉で早田が断ろうとして来る。しかし、持ち前の傲慢さを発揮してヒカリは更にごねる。
 「いいよ、俺は気にしないから」
 「でも、本当に」
 早田が誰にでも親切なのは、性格がいいと言う以外にも理由がある。ハッキリ厭と言えない性格なのだ。要は押しに弱い。
 「いいじゃん、少しぐらい。それとも俺が行ったら何かヤバい事でもあるわけ?」
 首を傾げて問い詰めると、早田が珍しく目元を少しだけ顰める。図星のようだ。
 ヒカリはそれに確信を深めながらも何も気付かぬふりをして更にねだる。
 「親が煩いとか?」
 「いや、あの……一人暮らしだから」
 初耳だった。何か家庭の事情でもあるのかと思って見つめると、苦笑しながら早田が言葉を続ける。
 「家が遠いから、それだけだよ」
 早田の家が通っていた中学の近くなら、その言葉に嘘はないだろう。そう判断してヒカリは「だったら、いいじゃん」と調子づく。
 「誰もいないなら別にいいだろ。少しぐらい汚くても気にしないって」
 とっておきの笑顔を浮かべて「な?」と早田を見つめる。これだけ言えば早田が断れないと知っていた。
 案の定、困り顔をしながら頷く早田を連れて学校をあとにする。
 先ほどまでの饒舌さが嘘のように早田は静かだった。気まずい沈黙が流れる中、一軒のアパートに到着する。
 「掃除するから少しだけ待っててくれる?」
 怪しいと直感する。だが、流石にそれを駄目だと言う事は出来ずに不承不承頷き返す。
 早田の部屋は小さなアパートの二階にあった。外装はまだ真新しく、学生の独り住まいにしては少しばかり贅沢な気がする。だが、アパートの裏が駐車場だから騒音が酷いのだと早田が言う。
 暫くして早田が顔を出し、「いいよ、どうぞ」とニッコリする。
 それに頷いてドアを潜り、思ったより整頓されている事に少しだけ驚いてしまう。待たされたのは僅か数分なのだ。その間にここまで綺麗に掃除出来るとは思えない。恐らく普段から部屋の整理に余念がないのだろう。床には埃一つ落ちてない事からもそれが窺える。
 ヒカリを廊下で待たせる必要などなかったのだ。だから掃除はただの言い訳で、本当はヒカリに見られたくない物を隠したのだろう。
 「何か飲むよね?」
 ガラス戸で仕切られたキッチンに向かいながら早田が問いかけて来る。それに「何でもいい」と答え、部屋の中に目を走らせる。
 窓際に机とベッドが並んでる。机の上には教科書が数冊とノード型のパソコン。それと向かい合うようにしてテレビを乗せたカラーボックスがありる。間の狭い空間には小さなテーブル。
 鞄を投げ出し、他に座る所がなかったのでベッドに腰掛ける。
 「須田くん、悪いんだけど座布団に座ってくれる?」
 グラスを持って戻った早田が困ったようにそう言う。流石に断りなくベッドに座ったのはマナー違反だったかも知れない。
 だが、始めて早田に拒否されてヒカリは少し傷付く。
 「やだ、ここがいい」
 ムキになってその場で寝転がる。それを見て、早田がますます困ったように眉を寄せる。それ以上、強く言えないのだろう。
 何も困らせる為にやって来たのではなかったが、床に座り直すのも今更な気がして、ヒカリはそのまま早田を見上げる。
 「うん、いいけど……零さないようにね」
 そう言ってテーブルにグラスを乗せる。その手が僅かに震えているのをヒカリは見逃さない。だが、その理由についてはサッパリ見当も付かなかった。
 「夏休み、どこ行こうか?」
 気を取り直したように早田がいつもの甘ったるい笑顔でそう言う。
 「どこでもいい、暑い所じゃなければ」
 「折角だから海でも行く?」
 「面倒くせー」
 水を差すつもりはなかったが、つい正直に答えてしまう。だが、早田がガッカリしているのを気配で察して、ヒカリは慌てて言葉を付け足す。
 「だったら、うちの別荘でも行くか?」
 ヒカリの言葉に早田が目を丸くさせる。
 「別荘って……須田くんのお家、お金持ちなんだね」
 同じ学校に通っていて、それを知らない奴がいるなんて思わなかった。ヒカリは珍しいものでも見るような目で早田を見つめる。
 「そう言えば、お家も大きかったしお手伝いさんもいるんでしょ?」
 このまま放って置いたら、延々とその話が続きそうだった。
 だからヒカリは強引に話題を変えてしまう。
 「別荘ったって、何にもないただの一軒家だ。飯も風呂も自分でやんなきゃいけないし……」
 言ってる途中で面倒臭くなって口を閉じてしまう。
 これなら早田の言う通り海に行った方が楽なのかも知れない。旅館に泊まれば炊事する必要がないからだ。
 「それだったら須田くんと二人っきりって事?」
 「まぁ、そうなるな。管理人がいる事にはいるけど、少し離れた所に住んでるし」
 連絡して置けば簡単な掃除ぐらいはしてくれるだろう。だが、食料や生活用品を運び込む手間を思うと、行く前から疲れてしまう。
 やっぱり海にしよう。
 そう言いかけるが、先に早田が「そこがいいな」と呟く。
 「何だか楽しそうだし」
 ニコリとしながらヒカリを見つめる。そんな顔をされては、やっぱり厭だとは言い出せない。ヒカリは仕方なく「分かったよ」と返事する。
 楽しみだね、と微笑む早田に曖昧な頷きを返す。鈍いのか、はたまた無視する事にしたのか、早田はヒカリのそんな態度には触れず「いつにしようか?」と話を続ける。
 「いつでもいい」
 答えながら枕元を探ると思った通りテレビのリモコンがある。いちいち訊ねるのも話の腰を折ってしまいそうだったので、ヒカリは勝手にスイッチを入れる。
 「お、ベスポジ」
 横になったままテレビが見えるように配置されているのだろう。もしかしたら眠る時はいつもテレビをつけているのかも知れない。
 早田の話し声とテレビの音を聞くともなく聞いている内に、それらが子守唄となったのか、ヒカリの目蓋は重くなって行く。

恋猫7

 夢の中で、ヒカリは中学一年生だった。
 卯木と同じ中学に入学した筈なのだが、事件を起こし転校を余儀なくされたばかりの頃だ。
 転校の経緯が噂にでもなってたのか、或いは父親が付けた取り巻き連中が悪かったのか、新しい学校では遠巻きにされ敬遠されていた。
 卯木がいれば一人で事足りたのだろうが、転校してくれるほど付合いのいい奴ではない。だから父親は部下の息子連中にヒカリの監視を頼んだのだ。
 その頃にはヒカリも、単純ではあるがバカではなくなっていたので、父親の思惑も取り巻き連中の下心も全て心得ていた。相手の望むまま我が侭を言い、不遜な態度で周囲を振り回してやった。それがヒカリの求められた役割だったからだ。
 その時も取り巻き連中と一緒に廊下を歩いていた。何を考えていたのかは覚えてないが、ヒカリは少し上の空だった。
 だから、前から来る少年に気付くのが遅れた。気付いた時には既に正面からぶつかっていて、互いに尻餅をついていたのだった。
 取り巻きの手を借りて立ち上がり、ぶつかった少年に目を向ける。
 親の言いなりなのだろう、坊ちゃん刈りのような髪型と黒縁の眼鏡。レンズが厚いのか、その奥にある筈の目がどこを見ているのかよく分からない。だが、驚いているのだという事だけはハッキリと分かる。何故なら口をポカンと開けていたからだ。
 廊下に座り込んだまま呆然と見上げて来る少年にヒカリは何か言った筈だった。
 気を付けろとか、前を見て歩けとか。
 よそ見していたのはヒカリの方だと言うのに、それを思い切り棚に上げている。
 それでも少年は何も言い返さない。ただ、驚いた顔をヒカリに向けるばかりだ。
 フン、と鼻を鳴らして目を逸らす。その時になって漸く少年が自分と同じ一年生である事を思い出す。
 転校して来た初日、職員室を探して歩き回るヒカリを案内してくれたのが、その少年だったのだ。
 「ごめんね」
 気弱そうな優しい声で謝られ、ヒカリは急に気まずくなる。元はと言えばお互いさまなのだ。それなのに片方だけが謝罪するのは理不尽だろう。
 そう思ったヒカリはぶっきらぼうに答える。
 「俺も悪かったよ、トキ」
 出会った時に教えられた名前で呼びかけると、立ち上がった少年が嬉しそうにニコリと笑う。
 


 前に早田を見た時に感じた既視感は錯覚なんかではなかったのだ。
 ヒカリは中学で何度も早田と話をしていた。他に友人らしい友人もいなかったので、早田とは親しい方だったのかも知れない。
 それなのに今まで思い出さなかったのは、早田がまるで違う外見をしているからだ。
 地味で大人しかった容貌は一変して、遊び人のような外見になっているのだ。これではヒカリでなくとも気が付かないだろう。
 ただ不思議なのは、そこまで思い出しても早田に恨まれるような何かがあったとは思えない事だった。
 普段は取り巻きにガードされていたので、一般の生徒とは口をきく機会もなかった。早田とだってそうだ。親しいと言ったが、それはあくまでヒカリの主観での話だ。それほどにヒカリは誰とも口をきかなかったのだった。
 眠りの余韻に浸りながら、つらつらと過去の出来事を思い出していると、不意にすぐ傍のシーツが僅かに沈む。続けて「須田くん」と早田の声がする。
 「ごめんね、ずっと黙ってた」
 聞いてるヒカリの方が切なくなるような声でそんな事を言う。
 何を黙っていたと言うのか。ヒカリは続きを聞き出そうとして眠ったふりを続ける。
 「須田くんが転校して来た時、僕が職員室まで案内したの覚えてる?」
 丁度その夢を見ていた所だ。声には出さずにヒカリはそっと相槌を返す。
 早田はピクリともしないヒカリが起きているとは思ってないのだろう。囁くように言葉を続ける。
 「あの時に僕ね、すごく驚いたんだよ。須田くん、今より背が低くて華奢だったでしょ……?」
 五年も前の話なのだから当然だった。怒る気にもなれずジッとしていると、早田がクスッと笑う。
 「だから女の子かと思っちゃった」
 その言葉はヒカリにとってタブーなのだ。しかし、何故か腹が立たない。それより話の続きが気になって仕方なかった。
 「おかしいよね。ちゃんと男子の制服着てたのにそう思うなんて……でも、もしかしたら一目惚れだったのかも」
 「……は?」
 狸寝入りするのも忘れて、ヒカリは声を上げてしまう。振り返ると思ったよりも近い距離に早田の顔があって、更に驚く。
 早田もヒカリが起きている事に気付いてなかったのだろう、唖然としたように目を丸くしている。
 「今、何て……?」
 誰が誰に何だって?
 空耳か、そうじゃなかったら聞き間違えたのか。そうでないと分かっていながら、どうしてもすんなりと理解出来ない。脳の処理能力が追いつかない。
 「須田くん……いつから起きてたの?」
 早田が泣きそうな声でそう問いかけて来る。最初から、そう答えようとするが、考え直して曖昧に首を振る。どう返しても変わらないと思ったからだ。
 「そう。ごめんね」
 声を震わせながら早田がニコッと笑って見せる。何に対して謝られたのか分からず、ヒカリは不可解な顔をしてしまう。
 「本当は言うつもりなかったんだよ。でも、須田くんってば僕の家に来たいなんて言い出すし、おまけにベッドで眠っちゃうし」
 そう言って、ギシッとベッドを軋らせ、ヒカリとの距離を縮めて来る。
 「前に佐久間さんたちに『盛りの付いた猫』って言ったの覚えてる?」
 覚えているに決まってる。それがキッカケで早田と親しくなったのだ。
 小さく頷くヒカリを見て、早田が更に近づく。
 「僕もそう……ずっと我慢してたんだよ」
 何を。問いかけたかったが、そう出来ない。
 何故なら横になったヒカリの身体に早田が被さって来たからだ。
 「須田くんとヤリたいって」
 「あ……?」
 告げられた言葉に間の抜けた声を上げてしまう。それに早田が苦笑を浮かべる。
 「好きなんだもん、そう思って当然でしょう?」
 早田の掠れた声と熱い吐息が耳を掠める。その所為でもないのだろうが、ヒカリはうっかり頷きそうになる。
 「えっと、つまり……そういう好きって事か?」
 だとしたら悪趣味だ。身体の構造上、異性を好きになる方がうんと楽なのだ。百歩譲って、早田がそういう性癖なのだとしてもどうしてヒカリを選んだのか分からない。ヒカリだったら、もっと大人しい……たとえば佐伯のような奴を選ぶ。
 「うん、そういう好きだよ」
 穏やかな顔つきで早田がコクンと頷く。自棄を起こしているようには聞こえないので、開き直っているのかも知れない。
 「須田くん、いつも取り巻き連れてたから近づけなくて。何度もコッソリあとつけて家まで行った事もあるんだよ?」
 「それってストーカーって言うんじゃ、」
 思わず言葉を挟むが、早田はそれを無視してクスンと鼻を鳴らす。
 「気を付けてたつもりなんだけど、生徒会長に見られてたみたい」
 あ、と思う。
 卯木が早田を知っていた理由が分かったのだ。ヒカリを追いかけて家の近所まで来た制服姿の早田を見たのだろう。
 同時に些細な違和感の正体にも気付く。
 ヒカリの成績を早田が何故、知っていたのか。ヒカリの学校では個人の成績を発表する事はない。それなのに知っていたのは、調べたからだ。
 何しろ五年も片思いをしていた相手なのだ。それぐらいしても無理はないのかも知れない。そして、もう一つ気付いた事があった。
 「もしかして高校選んだのも?」
 「うん、須田くんと同じ学校に行きたかったから。ついでに無理言って一人暮らしさせて貰ってるんだ」
 どうして、とは問えなかった。
 今の状況、この体勢を思えば理由なんか一目瞭然だったからだ。
 顔を強張らせるヒカリを見て、早田がいつもの苦笑を漏らす。
 「だからって無理にするつもりはなかったんだよ。だいたいからして、好きとか言うつもりもなかったし」
 その言葉にヒカリはホッと安堵の息をつく。だが、早田は依然として上に被さったままだ。
 「どけよ」
 命令とも懇願とも取れる言い方だったが、その声はどこか卑屈な響きを孕んでいる。
 実際、卑屈になっていたのだ。
 好きだと言われてどうすればいいのか全く見当が付かない。口をきくようになってまだ数日しか経ってなかったが、強く拒絶出来るほど早田の事をどうでもいいとは思わなかった。かと言って、流されてしまうほど優柔不断でもない。
 答えの出ない事を誤摩化そうとして穏便に済まそうという計算が働いき、結果、背中を向ける事しか出来ない。
 普段の早田なら、さきほどと動揺の笑みを浮かべて「ごめんね」と言う筈だった。しかし、この時に限って違う言葉が返って来る。
 「やだ」
 背後から早田の腕が絡み付き、腹に回される。そうされてもまだヒカリは抗うどころかポカンとしていた。
 早田がヒカリの言葉に逆らった事など、これまで一度もなかったのだ。しかも、こんなキッパリと物事を口にするのも聞いた事がない。

恋猫8

☆ほんのりBL☆



 ヒカリが呆然としている間も早田は指先を這わせ、シャツの裾を引っ張り出す。直に肌を撫でられ、ヒカリは漸くハッとする。
 「何してんだよ、」
 振りほどこうとして暴れるが、両手で押さえつけられビクとも出来ない。
 「お前、俺に告白する気もなかったんだろ!」
 形振り構っている場合ではなかった。ヒカリはシーツに爪を立て、何とかして早田の手から逃げ出そうとする。だが、早田の手は、ヒカリの肌の上を好き勝手に動き回る。
 「言うつもりはなかったけど言っちゃったし、どうせだから一回だけさせて?」
 何を、と訊ねるのは愚問だろう。
 熱い手のひらを肌に押し付けられているのだ。しかも早田は腰を密着させている。
 「そんな、ついでみたいな言い方するな!」
 「じゃ、どう言えばいい?」
 どう言われても「どうぞ」だなんて返せる状況ではない。そんな事を言えば、早田は嬉々として続けるだろう。しかしヒカリはどうしても「やめろ」と口に出来ない。
 「ん、」
 早田が鼻から抜けるような甘い声を漏らして、ヒカリの胸をまさぐる。指先で胸の突起を弄られ、ピクピクッとヒカリは痙攣してしまう。
 「感じてるんだ、尖ってるもん」
 嬉しそうに早田が囁きながら同じ行為を繰り返す。別に胸を触られたからではないのだが、声が漏れてしまいそうで何も言い返せない。
 恐らく早田は意識してやってるのではないのだろう。だが、その甘い声にヒカリは煽られてしまうのだ。昂ったものをどうにも出来ないもどかしさだけが募って行く。
 「須田くん、」
 蕩けそうに甘い声で呼ばれ、「あぁッ」と声を上げてしまう。身体に溜まった熱をどうにかしたくて限界だった。
 握っていたシーツに顔を擦り付けイヤイヤをすると、その首筋に早田が唇を押付け、音を立てて吸い上げる。そしてゆっくりと慣れた手付きでヒカリのベルトを外してしまう。
 「ごめんね、須田くん」
 ヒカリの耳元でそう言うとスルッと下着の中に手を忍ばせる。指を絡めて強弱をつけて扱かれ、厭でもそれが変化しているのをヒカリは思い知らされる。
 「いや、だ……早田」
 シーツから顔を上げられないまま震えた声で訴える。それに早田が手を止め、また「ごめん」と謝る。
 「そうじゃなくて、『ごめん』とかって言うな」
 「え?」
 ヒカリの言葉に早田が怪訝そうな声を上げる。早田にとってその言葉は口癖のようなものなのかも知れないが、ヒカリにはそれが何だか面白くない。まるで自分に対する好意ごと謝られ否定されてるような気がするのだった。
 「だって、お前……五年間もその、俺の事が好きだったんだろ」
 言いながら恥ずかしくなってしまう。ヒカリだってこれまで何度か女子に告白された事ぐらいあった。だが、彼女たちはヒカリの外見なり家柄なりを気に入って言葉ばかりの好意を告白して来ただけだ。だからヒカリは、早田のように思い続けてくれるような相手とは出会った事がなかった。
 くぐもった声でそう告げるヒカリを照れてるとでも思ったのだろう。早田が「可愛い」と呟く。
 「そんな事言ったら僕が誤解しちゃうかも知れないよ?」
 クスクスと笑いを滲ませるのはまだ余裕があるからなのか。そんな事を思ってヒカリは余裕のない自分に気が付く。
 「煩せ、好きにしていいからもう謝るな」
 「……いいの?」
 戸惑ったように早田が問い返して来る。それに対して、矢張り顔を上げられないままヒカリは頷く。その途端、肩と腰を掴まれ強引に仰向けにさせられる。
 「な、」
 驚いて目を丸くするが、息が掛かりそうなほど近くに早田の顔があるので思わず目蓋をギュッと閉じる。
 「須田くん、本当にいいの?」
 シャツは捲れているしズボンだって半分脱げ掛かっている。ここまでやって置いて何を今更。そう思いながらヒカリは眉を顰めてコクンと頷く。
 すると、背中に手を回され身体を持ち上げられる。そのままキツく抱きしめられ、ヒカリはおそるおそる目を開ける。
 「な、トキってどう書くんんだ?」
 音で覚えただけなので、どう書くのかまでは知らなかった。もしかしたら成績表を見た時、目にしたかも知れないが、いらぬ情報は切り捨ててしまう癖がヒカリにはある。
 「天然記念物と同じ……『朱鷺』だよ」
 ヒカリの肩に顔を埋めたまま早田が答える。そうすると、言葉と一緒に早田の胸が震えるのが伝わり、もっと聞きたいと思ってしまう。
 「それにしても随分変わったな、お前」
 「そりゃ、須田くんに近づきたい一心だったからね」
 小さく笑いながら早田が言う。思った通り、胸の振動が一緒に伝わり、それにヒカリは満足する。だが、早田の言葉にふと疑問を覚える。
 「だからって何でそんなチャラいんだ?」
 「だって須田くん、生徒会長と仲いいでしょ」
 つまり、卯木をモデルにしたと言いたいらしい。
 卯木のチャラさは天性のものだ。今は佐伯だけに絞っているらしいが、ヒカリが知っているだけでもこれまでに関係した女は両手では足りない。もしかしたら佐伯の他にも男がいたかも知れない。それほどに卯木は男女を問わずモテるのだ。しかしカリスマ性だけでなく、こんな所にまで影響力があるなんて、困った男だ。
 ヒカリは幼馴染みに対して心の底から溜め息をこぼす。
 「どうしたの?」
 溜め息の振動が伝わったのか、早田が不思議そうに顔を覗き込んで来る。それを軽く睨みつけ、ヒカリは「卯木はただの幼馴染みだ」と告げる。
 「うん、知ってる。一年の佐伯と付合ってるんでしょ?」
 「どうして、それを」
 卯木も佐伯も、聞かれたら否定しないだろうが、自分から喋って回るような性格ではない。ヒカリだって二人が付合うキッカケを与えたのだから知っていただけで、そうでなかったら今も分からなかっただろう。
 「須田くんと仲いい人なんだもん、調べるに決まってるでしょ」
 この調子で行ったら早田はヒカリ自身が知らない事まで調べ上げているのかも知れない。それはそれで何だか落ち着かない気もするが、相手は五年間も片思いを続けていた奴なのだ。執念深いと思うのは今更だった。
 呆れて肩を竦めると、早田が急にグイッと腰を押し付けて来る。そのリアルな感触にビックリしてヒカリは息を飲む。
 「もう我慢出来ないんだけど、分かるよね?」
 グイグイと擦り付けられ、ヒカリは顔を仰け反らせる。早田はまだ服を着たままだが、ヒカリは殆ど脱げているのだ。衣類の摩擦が直に伝わり、敏感になってしまう。
 「ぁ……あッ」
 空気を求めて大きく喘ぐと、その隙を見逃さす早田が唇を乗せて来る。舌を絡めとられ、酸欠でも起こしたように頭がクラクラとする。
 「んぅ……、」
 濡れた音の合間に早田の声が漏れ聞こえる。それにまたもや煽られ、ヒカリは喉を鳴らしながらビクッと震える。
 「須田くん、イッたの?」
 早田の言葉にカッと顔が熱くなる。キスだけで達するなんて、今まではなかった。だが、否定してもそれが嘘だと言うのは一目瞭然なのだ。それに気持ち良かったのは事実なのだ。
 「何だよ、悪いか」
 「ううん、嬉しい」
 不貞腐れた顔をするヒカリに、早田がフワッと笑う。ヒカリは下がった目尻にある黒子を何となく見つめる。だが、余韻に浸る間もなくグイッと膝を開かれる。
 「でも須田くんだけってちょっとズルいよね?」
 ニコ、と笑う早田を信じられないものでも見るような思いで見つめる。
 コイツ……気が弱いなんて嘘じゃないか。メチャクチャ我が侭だ。考えてみれば、ここまで早田の希望通りに事が進んでいるじゃないか。喋り方と垂れ目に騙された。
 「もっと気持ちよくしてあげる。だからいいでしょ……?」
 早田が舌なめずりしそうな顔つきでそう囁く。
 ヒカリだって我が侭な方ではあるが、そのヒカリが早田の思惑に流されているのだ。我が侭のレベルで言ったら到底適うものではない。
 世の中には何をしても適わない相手というのがいるものだ。理不尽だとは思うが、どうしようもない。これまでヒカリは両親に対してそうだったし、卯木にもそれを感じた。そして新たに早田がそこに加わった。ただそれだけだ。それに理不尽なのもそう悪くないと思っていた。
 その間にも早田は同じ言葉を繰り返している。何度も囁きと共に懇願されて、ヒカリは根負けしたように頷き返す。
 「分かったよ、朱鷺」

恋猫9+後書き

 目覚めは最悪だった。
 身体の至る所がギシギシと痛むし、喉が枯れて声も出ない。それでも縋りつくように眠っている早田を見ると、怒る気も失せてしまう。
 「夏休みね……別荘で二人きりかよ」
 先が思いやられる。だが、ヒカリは約束を反故にしようとは思わなかった。それどころか少し楽しみなぐらいだ。
 横になったまま天井を見上げて片膝を立てる。それだけの動作をするにも腰の辺りが重く気怠い。その倦怠感に身を委ね、早田の身体に腕を巻き付ける。
 見た目は軽そうで、実際は気弱なふりしているけど、本当は我が侭で。それに騙されたと言う者もいるかも知れない。だが、ヒカリはそう思わない。
 何段階にもわたって仕掛けられた嘘、それらはヒカリに対する早田の気持ちをあらわしているのだ。
 それにヒカリはこんな事をされたと言うのに、早田を嫌いではない。寧ろ離したくないとすら思っている。抱きついたまま目蓋を閉じ、夢に落ちる直前に小さく呟く。
 「何でお前みたいな奴を好きになるんて、全くもって理不尽だ」

<終>






後書き

内容的に区切りいいところでってやってたら最後はうんと短くなってしまいました。間違えちゃった。
本当ならもう一冊書くつもりだったんですが、何だかんだと先送りしてる間にどんな内容で書くつもりだったのか忘れてしまいました。そんな訳でもう書けないだろうなって思ってます。

近日中にブログ内の整理とレイアウト変更を行う予定です。
ご意見・ご要望などありましたら参考にさせて頂くのでコメント欄にお願いします。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。