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トランプ兵の反乱

夏休みを目前に控えた長閑な午後。
例によって例の如く、部室で過ごしている。
ユノさんの今日の服装はレースとフリルがふんだんに取り付けられたミニ丈のワンピース。しかもスカートが膨らんでいるので見た目、暑苦しい。
そしてこれまたレースの付いたエプロンをして、先程から生クリームを何分で泡立てられるかチャレンジしている。既に4パック目だ。
春日さんはその生クリームを浮かべたアイスココアを飲みながら旅行雑誌をペラペラと捲っている。ページの内容に目を通している様子はない。
ただ、音を立てながら捲っているだけ。
そして僕こと、君塚真澄はそんな先輩達を何となくぼんやりと眺めていた。
「…ヒマだねぇ」
手にした旅行雑誌をパタンと閉じると春日さんがしみじみとした様子で呟く。
こんな事は珍しい。
何でも面白がる事のできる春日さんがヒマなどと口にするのは始めて見た。
「そう~?」
ユノさんは楽しそうに泡立て器を動かしながら、何故か汗一つかかずに問い返す。
「こら、ユノ。一体、何を作るつもりなんだ。そんなに泡立てて」
「えへへ~」
だらしなく笑う姿が愛くるしい。
「何か、こうパッとした事でもないかねぇ」
再びそう呟くとアイスココアをジュッと音を立てて吸い上げる。
本当に純粋美形な春日さんのそんな仕種に最初の内はアンバランスさを感じたものの、今では既に慣れて来ている。
「真澄ちゃん、何かナイ?」
そんな振られても何もないんだから仕方ない。
少し俯いたまま首を振る。
「あぁ、ヒマだなぁ」
猫を思わせる仕種で欠伸をするとそのまま机に突っ伏してしまう。
「そんなにヒマなら一仕事しないか?」
戸の開く音と同時にそんな声がする。
生徒会長の五十嵐さんがニヤニヤと笑っている。
「お断り」
ヒマだヒマだと宣っていた割には顔色も変えずにあっさりと春日さんが答える。
「生徒会絡みの仕事なんて考えただけでうんざりする」
思いきり顔を顰めて更に睨み付けるようにして五十嵐さんに言う。
僕だってそんなのはお断りだ。
前回のお茶会では散々な目に合った。もう、逆らったりしないから二度と関わりは持ちたくない。
「イヤ、今回は生徒会じゃないんだ」
五十嵐さんはそう言うと、背後に立つ人物を中に通す。
「あれ、三田先生」
僕のクラスの担任だった。
まだ二十代ぐらいの良く言えば若い、悪く言えば学生気分の抜けていない教師だ。
先生は何だか気まずそうに僕を見ると「よぅ、」と手を上げる。
「こちらが今回の依頼人って訳だ」
ユノさんが顔を上げ、「ん~?」と首を傾げている。
「誰、この人」
キョトンとした顔で僕に質問して来る。
上級生のユノさんのクラスには入ってないのかも知れないけど、幾ら何でも同じ学内にいて知らない教師がいるとは。
ユノさんってやっぱり少し変。
「ウチのクラス担任ですよ」
「ふぅん、知らないな~。って、言うかホントに先生なのぉ?」
首をグニグニさせるユノさんに僕は頷いて見せる。
「どうしたんですか、」
僕がそう訊ねると先生は困ったように五十嵐さんを振り返る。
その顔は『本当にコイツらで大丈夫なのか?』と如実に不安を表していた。
春日さんは不敵とも取れる笑みを浮かべ、そんな先生の背中に問いかける。
「警察にはまだ届けていないんですか?」
ハッとしたように春日さんを見つめる。
春日さんは怯む事なく、その視線を受け止める。
「心配ですよねぇ。何たって、駅への近道だ。幾ら禁止したとしても、今どきのコーコーセーがそんなの聞く訳ないし、これから先また被害者が出ないとも限らない」
その言葉を聞いて何の話か察しが付いた。
通り魔だ。
この学校は微妙な場所に建っている。
私鉄と地下鉄の駅の中間地点にあるのだ。
だから通う生徒達の通学手段は様々だった。
徒歩や自転車、バスで通う者もいるが、圧倒的に地下鉄と私鉄で通う者が多かった。
そして地下鉄へは商店街を通って行くのだが、私鉄へのルートは二通りあった。
矢張り商店などが軒を列ねる道もあるが、ここの生徒は大抵もう一つの道を通る。
住宅と住宅の隙間のような細い道を歩く方が断然、近いからだ。
その道で梅雨に入った頃から事件は起きている。
女生徒が襲われるのだ。
噂で聞いただけだから詳細は分からない。
ただ、数人の生徒が襲われ、何れも首を絞められたのだと言う。
今までの所、運良く後ろから来た通行人(矢張り同じ学校の生徒)がやって来て、それ以上の事はないらしいのだが。
「確かぁ、ちょっと前にも誰か襲われたんだよねぇ」
春日さんが僕の顔を見てニヘラと笑う。
「ああ……先週でしたっけ?」
「そうだそうだ、思い出したよ。隣のクラスの紅林美也ちゃん」
ユノさんが泡立て器を持った手を頬に当てて答える。
「二年だったっけ?」
「そうだよぅ。誰かがたまたま通り掛かったらしくてたいした事はなかったらしいんだけどぉ、スッゴイ噂になってたねぇ」
興奮して泡立て器を振り回すので飛んで来るクリームを避けながら聞く。
「皆も始めの内は興味津々でぇ、でも今週になってからは飽きちゃったんだろうねぇ」
ユノさんがしたり顔で頷く。
「どうして、その事だと思ったんだ?」
それまで沈黙を守っていた先生が春日さんに問いかける。
春日さんは人さし指を唇に押し当ててクスクス笑う。
「ナイショ」
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トランプ兵の反乱2

先生の相談は矢張り春日さんの言った通り、最近起こっている通り魔事件についてだった。
何となく噂でしか知らなかったのだが、先生は流石に詳しく知っていた。
これまで学校側が知っているだけでも被害者は三人。そして意外な事に被害届を出しているのは二人目に襲われた生徒だけらしい。
残り二人の内、先週被害にあった生徒は今でも家に閉じこもったきり、誰とも口をきこうとしない。そして一人目は「別に何ともないから」と、どうやら外聞を憚って警察に訴えていないようだと先生は言う。
「ウチの学校の生徒しか被害に合ってないのかにゃ?」
至って気楽そうに春日さんが質問すると先生はそれに頷く。
「ああ、近隣のどの学校の生徒も被害には合ってないらしい」
「ふぅん、」
自分から質問した癖に余り興味なさそうだ。
「それにしても、そんな相談事だったとは聞いてませんでしたよ」
どこか怒った様子で口を挟んだのは五十嵐さんだ。
生徒会室に戻らず、そのまま我がミス研の部室に腰を落ち着けてしまっていたのだった。
「ああ、済まない。何て言えばいいのか分からなくて、」
「ま、結果オーライっしょ」
春日さんが事もなげにそう言う。
「にしても、一般の高校生がどうこうできると思っているのか?」
それはご尤も。
「一般?じゃ、五十嵐に一般の定義をして貰おうか」
春日さんがそう言い返すとユノさんまで興味津々と言った様子で身を乗り出す。
何だか春日さんって、五十嵐さんには少し攻撃的なような気がする。
五十嵐さんは溜息をついて眉間に指を当てる。
「分かったよ。お前らは一般じゃない。普通なんかであるものか」
投げ遺りな口調なのは諦めを含んでいるからなのか。
「え…と、その中に僕は入ってないんですよね?」
思わず確認すると、五十嵐さんが奇妙なモノを見るよような目で僕を見る。
「天然…?」
「それが真澄ちゃんのイイ所」
「そうだよねぇ」
順に五十嵐さん、春日さん、ユノさんだ。
何か言い返してやりたかったが、それより先に先生が口を開く。
「何も犯人を捕まえてくれって訳じゃないんだ。この先、被害を食い止められるような何か…具体的でなくてもいいから何か案はないか?」
その言葉に四人とも顔を見合わせる。
そんな事、学校側の考える事じゃないの?
「あ、分かったぁ。先生はカンニングしようとしてんだ~」
ほのぼのとした声でユノさんが言う。
「か、カンニング?」
「そ。職員会議でそういう宿題が出たんでしょ?で、自分では思い付かないからヒトに考えさせようってんだぁ」
ビシィと先生の顔に指を差す。余りお行儀がいいとは言えない。
先生はユノさんの言葉に少し考えて、意外な事に頷いて見せる。
「そうなんだ。助けると思って頼む」
そんな先生をジッと見つめて春日さんが言う。
こんな時の春日さんは何を考えているのか、はっきり言って良く分からない。
「いいですよ。策を講じましょう」

「考えて置きま~す」と三田先生を追い返してから春日さんが大きく伸びをする。仰け反り過ぎて椅子から転げ落ちそうだ。
「春日には何か妙案があるんだな」
五十嵐さんが見透かしたように冷たい声で言う。
「ん?妙案?そんなモノある訳ないじゃん」
軽い調子でそう言うとギャハハと品のない笑い声を上げる。
「え?そうなの?シオン、何か思い付いたんじゃなかったの?」
ユノさんまで意外そうに声を上げる。
それに春日さんが鼻白んだように頬杖をつく。
「何だよ、ユノまで。ま…確かに事件解決へ向けてできる事は思い付いた事は思い付いたんだけど、」
「なぁに~?」
のほほんと訊ねるユノさんに小さく溜息をつき、短く答える。
「犯人逮捕」
「え~?!」
流石に驚いたのだろう、ユノさんが大袈裟に仰け反る。
「シオン、そんな簡単に言うけどどうやって捕まえるのぉ?」
春日さんがその言葉に僕を見る。
「え?」
何で僕を見るんだろ。しかも何だか凄く困っているような顔で…?
「まぁ、こればっかりは強制できないんだけどねぇ」
きょとんとしたままの僕に春日さんは苦笑を浮かべる。
「春日、それは流石にマズいだろ」
「分かってるよ」
五十嵐さんの言葉に面白くもなさそうに即答する。
何だか二人だけで会話が成り立っているようで少し面白くない。
そう思ったのは僕だけでなく、ユノさんもそうだったようで癇癪を起こした子供のように意味もなく手を振り回す。
「何なぁに、二人だけで分かっちゃって。何だかイヤ~な感じ」
うふふ、と唇に指を当てて笑う春日さん。うん、これは何だか少し似合う。
「ま、そういう訳で続きはまた今度。って、ユノにはお迎えが来てるしね」
春日さんの言葉にユノさんがきょとんとする。
「お迎え?」
その言葉とほぼ同時にドアがノックされる。物凄く控え目な感じ。
「ん~?」
ユノさんが首を振りながらドアに向かう。
その後ろ姿を眺めていると春日さんが立ち上がる。
「今日はお開きにしよっか」
「ぅきゃぁ!」
ユノさんの悲鳴が春日さんの言葉に被さるように響く。
「何、何ぃ、何でぇ~?!」
怒っているのか拗ねているのかユノさんが叫ぶ。
何事かと腰を浮かし掛けた僕を春日さんが目で止める。
「いやぁ~!!」
そんな叫び声を残してユノさんが走り去る足音。パタパタとゴッツイ靴はいてた割に軽い音がする。
その後を「あ、ちょっと」とかいう声が追って行く気配。
たっぷり三十秒待ってから春日さんに訊ねる。
「何だったんですか」
「だからユノを迎えに来たんだろ」
長い髪を鬱陶しそうに払い除ける。
「…あ、佐波さん?」
「そういう事。じゃ、私らも帰るとしよっか」
ニッと美少女にあるまじき開けっ広げな笑顔で言う。
それに従い立ち上がろうとすると五十嵐さんが止める。
「春日、」
「あん?」
「忘れてんじゃないのか?」
五十嵐さんの深刻な顔に春日さんは暫し思案する。
何だか突然、流れた緊張した空気に意味もなくハラハラしてしまう。
「…何だっけ」
物凄い低い声で春日さんが問い返す。
「玲子さんとの約束」
五十嵐さんの短い言葉に春日さんは思いきり顔を顰める。
「うっわ、今日だっけ。聞かなかった事にできないかな?」
「俺は構わないが後々、困るのは春日だと思うが?」
「チェー、」
不貞腐れたように頬を膨らませる。
「生徒会終わったら俺も帰るからそれまで時間潰してるか?それとも先に行くか?」
何だか分からないが兎も角、春日さんには何か先約があるらしい。ま、僕としては別に一緒に帰らなくても構わないと言えば構わないのだが。
「仕方ないなぁ。適当に時間潰して行く」
詰まらなそうに呟いた春日さんと目が合ってしまう。
何だかとても厭な予感がする。
しかし五十嵐さんはそれに気付かなかったようで「んじゃ、」と言い残して部室を後にする。
残ったのは僕と春日さんの二人。
春日さんは腰に手を当て仕切り直すように息を吸い込む。
「真澄ちゃん、ヒマだよねぇ?」

トランプ兵の反乱3

五十嵐さんが立ち去った後、どこからか取り出したトランプでゲームをした。
しかし何をしても所詮、二人しかプレイヤーはいないのだ。
はっきり言って…ツマラナイ。
そんな僕の様子に気付いたのか、春日さんが鮮やかな手付きでカードをシャッフルしながら「真澄ちゃん、」と呼ぶ。
何か企んでいる。絶対そういう顔付き。
「…」
疲れていたので目だけでそれに答える。
春日さんがそんな僕に取って置きの笑顔を見せる。
「今日は夕飯も一緒に食べようね」
小さな溜息をつく。それを何と受け取ったのか春日さんは更に媚びるような笑みを浮かべる。
「ダメ?」
「…構いませんが、余り遠いのは勘弁して下さい」
「あ、それは大丈夫ぅ。五十嵐ん家だから」
「え?五十嵐さんの家ですか?」
意表をつかれ、キョトンとしてしまう。
「それは…別に構いませんけど」
「やったぁ~」
間延びした声ではしゃぐ。
この人はどうしてこうなんだろう?
本当、綺麗系の間違いない美人なのにやってる事は小学生以下。
「あの、でもどうして?」
疑問はそこだ。
春日さんが五十嵐さんを苦手にしているらしいのは何となく分かっている。苦手と言うより煙たがっている。
それでも仲が良さそうにも見えるのだ。
大体からして春日さんが五十嵐さんの家に行くのに僕は何の関わりもない。
「ん~、一人で行くのが厭だから」
それなら何も僕でなくともいい訳で。ユノさんなら春日さんが声を掛けただけで喜んで付いて行くと思う。
「あっは、ユノにはお迎えが来てたじゃ~ん」
ああ、佐波さんの事か。
「私って優しいでしょぉ?恋のキューピットって感じ」
唇を『け』の形にしたまま声を上げて笑う。
キューピットって確か天使だった筈。だけど、僕には春日さんはどう見ても天使より悪魔に近いような気がする。
オマケに何だか分からないけどハイテンションになってしまったようだ。
「まぁ、本音を言うと真澄ちゃんの方が『あの人』の好みかにゃぁって」
「あの人?」
「内緒」
その時、春日さんの鞄から気の抜けた電子音がした。
どうやら携帯電話に着信があったらしい。
鞄から取り出されてはっきりと聞こえるメロディはどう聞いても十数年前に流行ったゲームの音楽で。
何と言うか、それだけで酷く疲れたような気分になった。
小声で暫く話していた春日さんが手首に巻いた時計を見て「うわっ」と驚きの声を上げる。
それに吊られて僕も時間を確認すると、何と午後七時。
「ごめんごめん、今からソッコ-で行くわ」
電話を切った春日さんが僕を見る。
「ヤバいねぇ。校門開いてるといいよね~」
言葉とは裏腹にのほほんとしている。
しかし既に下校時刻は過ぎている訳で。
校門は案の定、閉ざされていた。
どうします?と振り返ってみると、何と春日さんは何も言わず門に手を掛け慣れた様子で裏門をよじ登る。それを呆れて見上げていると、早くしろと怒られてしまう。
「いつもこんな事してるんですか?」
「いつもじゃないよ」
バツが悪そうに春日さんが肩を竦める。
セキュリティはそんなに厳しくはないが、それでも警備員が詰めているし何かあったら直ぐに警報が鳴る筈だ。
「ああ、ヘ-キだよ。決まった時間に見回りする位で後は警備室でテレビでも見てんじゃない?それに万が一、見つかっても忘れ物したって言えば大丈夫。だってちゃんとココの生徒なんだもん」
そんなモノなのかどうか。
春日さんの言う通り、途中警備員と遭遇する事もなかったし警報が鳴り出す事もなかった。
「真澄ちゃん、こっちの道を行こう」
僕を振り返りもせずに黙々と歩き出す。
置いて行かれるのは何となく心細かったので慌てて後を付いて行く。
春日さんはするすると音も立てず猫のように薄暗い道を歩く。
何だか道幅が狭いな、と思い気が付く。
この道って!!
「春日さん!」
「うにゃ?」
僕の声に春日さんがキテレツな声を返すと同時に門影からサッと人が出て来る。
余りの出来事に呆然としてしまって僕は動けない。けど、春日さんは素早くその人物から身を躱すとあろう事かその背中に蹴りを入れる。
『ぐ』と『ぶ』の間の音で呻くが膝をつく事はなく、そのまま走り去ってしまう。
それを慌てるでもなく春日さんは見送り、「ありゃりゃ、逃げられちったよ」と笑っている。
何なんだ、この人は…。
呆然としていると、春日さんが首に手を当てるので慌ててしまう。
あんな蹴りを入れていたが実は怪我とかしてしまったのだろうか。
「大丈夫ですか?!」
「ん~?」
ビックリして動顛してはいたが春日さんが無事なのはその声の調子からも分かる。
「取れちゃったよ」
そう言うと首に巻いたチョーカーを示す。確かに真中にあった小さな十字架が今はない。
「う~ん、こりはちょっと考え直さないと」
「何をですか」
何事もなかったように歩き出す春日さんを追いながら訊ねる。
「いやはや…頭、悪くないなぁって」
「え?」
「あの状況で逃げるなんて判断力は優れてるって事じゃん」
そうなのだろうか。
僕だったら、どうなるか想像してみる。
遅い時間に歩いて来た女の子を物陰から襲う。が、思わぬ反撃を食らう。そのまま呆然とする。
或いはカッとなって更に襲い掛かる。
どちらにしても春日さんに掴まる。
逃げた『通り魔』も凄いが、それに反撃した春日さんだって凄いのだ。
一般的な女の子が見ず知らずの人間に襲われて反撃するだろうか、普通。
否、しないだろう。断固、する筈がない。絶対に女の子が通り魔に反撃したりする訳がない。
なのに春日さんは平然とした顔付きで僕を見ると薄く笑う。
「取っ捕まえてヤキ入れてやる」
そんな不穏当な事を言うと首に巻いたチョーカーの端をヒラヒラと振る。

トランプ兵の反乱4

翌日になり、僕は焦って部室に向かう。
昨日、あれから春日さんとは駅で別れたのだ。
「やっぱり、今日はいいや」
ニヘラと笑うとバイバ~イと手を振って階段に消えて行く後ろ姿を見送ってしまった。
矢張り気が動顛したいたのだろう。
気が付いて慌てて追いかけたが間の悪い事に電車が発車してしまっていたのでそれきりだった。
その後、何度鳴らしても携帯は繋がらないし。
一晩、寝られないまま過ごしたのだ。僕は。
もっとキチンと確認するべきだったのだ。
「あ、グゥッタイミ~ング」
ドアを開けた途端、ほにゃらとした声でユノさんがアイスキャンディーを僕に差し出す。
「丁度良かった。早くしないと溶けちゃうから、今呼びに行こうかなぁって思ってたんだ~」
「はぁ…」
それまでの勢いを殺がれてしまい、半ば呆然としたまま差し出された物を受け取る。
「あり?オレンジじゃイヤ~?」
その声にハッとする。
「いえ!それより春日さんは、」
「どしたの?」
ソファにダランと伸びたままアイスを咥えた春日さんがきょとんとした顔つきで僕を見る。
「昨日、その…何とも?」
「昨日?」
何の事だ、みたいな顔になる。
通り魔に襲われるという事は春日さんにとって忘れてしまう程、些細な事柄だったのだろうか。
「何かあったっけぇ?」
どうやら、通り魔ごときはどうでもいい事らしい。
何だか心配していた自分が可哀想になって深く溜息をつく。
「いえ。…あ、でも一応先生には言った方がいいのかな」
最後は独り言のつもりだった。
しかし春日さんがそれに反応する。
「黙っててもヘーキだよ。と、言うより黙ってろ、だ」
「覚えてたんじゃないですか」
つい、そんなツッコミを入れてしまう。
「忘れたなんてヒトッコトも言ってないよ。でも、これ以上、話を大きくしない方がいい」
「?!」
「何のお話ぃ?」
ビックリしている僕を押し退けるようにユノさんが春日さんに近寄る。
「何でもないよ」
冷淡とも取れる態度でユノさんから目を逸らしてしまう。
「ふぅ…ん?」
ユノさんは何か勘繰っているようで、今度は僕に目を向ける。
黙ってろと言われて話して聞かせる訳にも行かず、僕はアイスを口に入れる。
「さぁて、と」
アイスキャンディーの棒を口から離し、春日さんが立ち上がる。
それに僕とユノさんが目を向けると伸びを一つする。
「どしたの、シオン?」
ユノさんが不思議そうに首を傾げるのに小さく笑う。
「そろそろ、捜査でもするかなぁって」
「捜査?」
「そ。通り魔、早いトコ捕まえないとね」
そう事もなげに言うと僕の肘を掴んで立たせる。
「勿論、有能な探偵には昔から少年の助手がいるって決まりだから」
にゃははと笑う春日さんに僕は蒼くなりながら首を振る。
冗談じゃない!!
これ以上、振り回されたら僕の繊細な心臓じゃ保たないに決まっている。
「そんな決まりはありませんって!それに有能な探偵って」
「いいから来るのダ」
細い身体のどこにそんな力があるのか。
外見からは想像もできない怪力で春日さんは僕を引きずって(ズルズルと音が出る程に!)廊下に出る。
「自分で歩きますから離して下さい!」
態勢を整えられないままに引きずられ、踵が痛む。
「ほにゃ」
奇声を発すると共に実に唐突に僕の肘を離す。
その反動を食らって僕はそのまま廊下に転げてしまうが、春日さんはそんな事お構いなしの様子で口を開く。
「さてさて。第一被害者の元にいざ行かん!だっ」
「第一被害者って…」
起き上がり転げた拍子に強かに打ってしまった膝を摩りつつ何とも言えない言葉に僕は突っ込みを入れる。
最初に被害に遭った人物の事を指して『第一被害者』と言っているのだろうが、そんな言葉は断じてない。って、言うかあっても僕が許さない。
「誰だったっけ?」
「知りませんよ、そんな」
捜査が聞いて呆れる。
そんな初歩的な事も知らずに何を捜査するつもりだったのだろう。
「ま、いいや。誰かテキト-に聞いてみっか」
「それは流石に…どうかと思いますけど。そう言えばユノさん、詳しそうでしたけど?」
「んじゃ、ユノに聞いて来て。ついでに紅林美也ちゃんが襲われた時に駆け付けた人が誰だったかも」
図書室に集合ね~とのほほんと言い捨てる春日さんの背中を何とも言えない虚脱感と共に見送る。
「あり?真澄ちゃん、どったの」
高校生の三種の神器の一つであるケータイを手にしたユノさんが少し驚いたように目を丸くする。
春日さんに言われた事を告げると、「なるほろ」と呟く。
「まぁ、シオンは行き当たりバッタリな人だから~」
「そうですね、計画性があるんだかないんだか」
「シオンに計画性なんてある訳ないじゃん」
あっさりと、しかもきっぱりと断言されちゃったよ。
「そう…なんですか?」
「そうだよぉ。んで、そこがシオンのイイ所なんじゃん」
「イイ所、ですかね?」
怪訝に思って首を捻る僕にユノさんはケータイを畳み悪戯っぽく笑って見せる。
「イイって言うかぁ、スゴいって事ね」
「凄いんですかね?」
「そりゃ!だって考えてみなよぅ。前の時もその前の時もな~んにも計画は立ててなかったんだよ?なのにシオンの思った通りになったじゃん」
ユノさんの言葉に暫し思い起こしてみる。
言われてみればそうとも思える展開だったのかも知れない。
「シオンははっきり言って頭イイのね。その場でババッと考えちゃうの。んで、その通りに行動できちゃうってスゴイ事じゃないかなぁ?」
喋りながら何やら細々と紙片に書込んでいる。
そして書き終わったのか、一度目を通すとそれをそのまま僕に差し出す。
「ハイ、」
「あ、」
受け取って目にしたそれは、得体の知れない丸ッコイ物体に目口の付いた正体不明のキャラクターが血を流しながら走ったり転げたりしている絵が印刷された、何とも言えずファンシーと言うより無気味なメモ紙だった。
「何ですか、コレ?」
僕の示すキャラクターにユノさんは顔を寄せて「あまんちゃん」と答える。
「あまん?」
「あんまんなのね、コレ。最近の一番人気って言ったらあまんちゃんでしょ。プロフィールはねぇ、カケッコが大好きだけど運動神経ゼロなんだって~。だからこんな風に転んじゃうのね。って、言うよりコッチを見て欲しいんだけどぉ」
ユノさんが最後に示した箇所には鉛筆書きのゴリゴリした字。
佐伯順、坂井柚菜、紅林美也と名前らしき物が並んでいる。
「あ、通り魔の、」
「そ。住所はそこに書いた通りだよぅ」
「どうしてそんなに詳しいんですか?」
ふと、疑問に思ったから口にしてみるとユノさんはあっさりと答える。
「だって皆、同じ学年だも~ん」
「そうだったんですか?」
「そだよ。因に順の居場所なら今、確認できると思うよぅん」
そう気軽に言うと僕の返事も待たずにケータイを再び開く。
「やっほぉ~ん、今ドコにいんのぉ?…わっかりましたぁ」
それだけ言うと通話を切ってしまう。
説明は一切しないのか、とツッコミを入れたくなる程に短い。
「図書室だってぇ。行ってくればぁ?」
「はぁ、丁度、春日さんも図書室にいる筈なんですけど」
「流石、シオン。先回りしてるぅ~」
この場合、先回りと言えるのかどうか。
それに何が『流石』なのかは分からなかった。
「そう言えば…」
春日さんに言われた質問をユノさんに伝える。
ユノさんは顎に人さし指を当てて首を捻る。
「う~ん、噂になってたから聞いたと思うんだけどなぁ…」
これ以上は無理な所まで身体毎傾けるので、それを支えてやる。
「思い出せないや」
ニパッと笑うユノさんに僕は肩を落とす。どうしてこの同好会にいる人ってこうなんだろう。
何はともあれ礼を言って別れる。

トランプ兵の反乱5

息を切らせて図書室に向かうと酷く剣呑な雰囲気に包まれていた。
春日さんともう一人、ショートカットの女生徒が睨み合っている。否、春日さんはいつものようにヘラヘラとした笑い顔なのだ。もう一人が一方的に春日さんをきつい目で睨んでいた。
「…それが貴女のスタイルって訳?」
押し殺した低い声でショートカットの女生徒が言う。
「ま、そんな感じぃ?」
そんな言い方、絶対に相手をバカにしているとしか思えない。
「ちょっと、春日さん」
慌てて止めに入ると、ショートカットの女生徒が僕をチラと見る。
「いい気なものよね。可愛い男の子、侍らせて」
「いいでしょぉう?」
明らかに喧嘩売っているだろうが、春日さんに適う筈がない。と、言うか喧嘩になる訳がない。
何しろ本心のみと、言うよりそれしかない人なのだから。
この場合、春日さんは本当に自慢しているのだ。…自分の立場を。
相手もそれを感じ取ったのか、「外に出ましょう」と短く言い捨てるとそのまま廊下に向かってしまう。
やって来たのは日差しの厳しい中庭で、坂井さんと思しき女生徒は手を額に翳しながら春日さんを振り返る。
「聞きたい事って?」
三年生である春日さんに怯む事なく言葉を発する。
「ん~、分かってると思うんだけどぉ」
緊張感の欠片もない口調で春日さんがニコニコ笑う。
坂井さんは小さく舌打ちする。
「んとね、通り魔に遭った時の事を詳しく教えて欲しいナリね~」
『ナリ』の所だけ声を高くする。何考えてんだ、この人は。
坂井さんは顔を顰めたまま「何も言う事はない」ときっぱり答える。
「あの、どうして警察に届けなかったんですか?」
二人のやり取りに苛々してつい、口を挟んでしまう。
「どうしてって…別に」
始めて坂井さんが口籠り、僕から目を逸らす。
「言いたくない理由でもあったのかにゃ~」
茶化すように春日さんが言う。それにギロリと視線をくれて坂井さんが再び喧嘩腰になる。
「何が言いたいんだ」
「だってぇ、本当に見知らぬ男に突然襲われたりしたら怖いんじゃな~い?」
撃退した春日さんが言うとまるで現実味のない言葉だ。
「なのに、それを黙っているなんてさぁ。何だか犯人を庇っているか、」
一度、言葉を切ると不敵な笑みを浮かべる。
「狂言だったのかなぁ、って」
その言葉に坂井さんの頬が赤く染まり、目が吊り上がる。
だが、口を開かせず春日さんが言葉を続ける。
「犯人に心当たりがあるの?」
突然低くなった春日さんの確信を込めた声にシンと静かになる。
風一つない夏空の下、何処か遠くで蝉の声がする。
自分のものではない頭痛を感じるような、何処か曖昧な感覚。
「ど、うして…」
坂井さんの途切れ途切れな声に春日さんはフワッと笑う。
「私も昨日、襲われたから」
あっさりと切り札を見せる春日さんに驚いたのは僕よりも坂井さんだった。
「何っ!」
「だからアナタが言いたがらない理由も何となく分かる。でも、だからこそ捕まえなくちゃイケナイ。私の言う事はオカシイかな?」
グッと真剣な目で坂井さんを見据える。
それに怯んだのか、心細そうに顔を伏せた坂井さんが暫く考えてからポツリと呟く。
「間違ってない」
「そう?アリガト。協力してくれるよね?」
「スッゴイ癪だけど…仕方ない」
大きく息をして気分を切り替えると唐突に話し出す。
「ただ、始めに言っておくけど。特に有益な情報ではないと思う。それでも構わない?」
先程とは売って変わった坂井さんの言葉に春日さんが「勿論」と頷く。
「一ヶ月前、たまたま補習があってその所為で帰りがいつもより遅れたんだよ。まだ明るかったからいつもと同じ道を通ってたらやっぱり補習を受けていた奴が後ろから『一緒に帰ろう』って叫ぶからそこで待ってたら、突然…」
「男に襲われたって訳?」
「そう、」
「正確に何時だったか分かる?」
「私が出る時、警備員が門を閉めようとしていて『まだ中に生徒残ってますよ』って教えてあげたから…七時ちょっと前に学校を出たと思う」
「って、事はあの道までゆ~っくり歩いて十分掛かるとしてぇ、七時ちょい過ぎ?」
「多分」
「それで男に首を絞められた?」
「そう、ね。首の辺りが熱くなって物凄い圧力を感じた。でも、その時ちょっと間気を失ってたみたいで。後から来た奴に揺り起こされた」
二人のやり取りを聞いていて何だか少し気になる所があった。ので、それを坂井さんに訊ねてみる。
「後から来た人って、どこら辺にいたんですか?」
坂井さんがそれに申し訳なさそうに頬笑む。でも、その笑みの意味は分からない。
「さぁ?三十メートルぐらい離れてたかな」
「だったら、犯人にもその人の姿は見えた筈ですよね?」
「そうね」
「なら、どうして坂井さんを襲ったんでしょう?」
それに坂井さんは辛そうに俯いてしまう。
僕の言い方がキツかったのだろうか?
「だって、昨日も僕がすぐ傍にいたのに春日さんに襲い掛かって…何だか変じゃないですか?」
訳もなく慌ててしまう僕の額に春日さんが人さし指を当てる。
「正解」
「え?」

トランプ兵の反乱6

春日さんは何の説明もしないまま、僕を引っ張って歩き出す。
「ちょっ…、春日さん?!」
「なぁに」
「いいんですか?坂井さんの話は?」
「あ、もうい-の」
あっさりと、のほほんと言う。
それにしてもこの莫迦力。
本当に女なのかと、疑いたくなる程だ。
「それじゃ、何が『正解』なんですか?」
「あれ?」
きょとんとした顔つきで僕の手を離す。
それから「あれれぇ?」と言いながら僕の顔を覗き込むと呆れたように溜息をつく。
「まだ、分かんない?」
「全然」
きっぱり答えてやると春日さんは顳かみに指を当て「う~ん」と考え込んでしまう。
「あのね、」
突然、告げられた言葉の続きを期待してみる。
「ん~、でも分からないならイイや」
って、おい!!
つい心の中でツッコミを入れてしまいたくなる程、あっけらかんと言われてしまう。
そんな事言われて気にならない奴なんかいないっての。
僕の顔色を読んだのか、春日さんがポケットに手を入れ、小さく頬笑む。
「マスミちゃん」
「はい?」
改まったその口調に警戒しながらも頷く。
「ごめんね?」
唐突な謝罪の言葉に僕は返事すらできない。
春日さんは僕の返事など期待していないのか、そのままブラブラと廊下を進む。
「どこに行くんですか」
僕の質問にやっと足を止め、ゆっくりと答える。
「情報収集」
それ以上は言うつもりがないようだった。そのまま無言になり廊下を進む。
やがて僕にも春日さんの目指す場所が分かった。
生徒会室だ。
「やっほ~」
軽い声を上げながら入って行く春日さんに続く。
本来ならば一般生徒が気安く入れるような所ではない。
入学したばかりの頃は何も知らなかったのだが、ここ『生徒会室』は恐怖の場らしい。
今更、そんな事は気にしないがそれでも春日さんのように緊張感の欠片もない態度ではいられない。
「あれ、」
恐る恐る中に入ってみると、そこにはこの部屋の主・五十嵐さんの姿は見当たらず、顔見知りである服部さんが何やら書き物をしていたようだった。
「留守なの?」
「はい。何やら凄い剣幕でミス研に向かったようですけど」
「ありゃ、入れ違いだったか」
グルンと僕を振り返ると「どうする?」と聞いて来る。
別に僕は五十嵐さんに用はないし。
「また擦れ違ってしまうかも知れないんで、ちょっとだけ待ってて貰えませんか」
服部さんが手にしたボールペンを器用に回しながら言う。
「そだね」
あっさり、そう決断すると勧められる前にソファに身体を投げ出す。
「ふぁっ、」
ハイソックスをはいた足がその反動で跳ね上がる。
幾らパンツ姿とは言え、もう少し考えて欲しい。どこに目を向ければいいのか困ってしまう。
「五十嵐、怒ってたぁ?」
「かなり。今度は何をしたんですか」
「ん~、約束をすっぽかした」
服部さんの質問に何て事ないように春日さんが答える。
「約束?」
「ん。昨日、ちょっとね」
曖昧に言葉を濁す春日さんに僕が言う。
「五十嵐さんの家、行かなかったんですか?」
僕の言葉に春日さんが誤魔化すようにニマ~ッと笑う。
「う~ん、何だかメンドくなっちゃって。だって、ホラ。そのちょっと前に『通り魔』に襲われたじゃん?か弱い乙女としてはもうビビっちゃって行けなかったんだわぁ」
誰が『か弱い乙女』で、誰が『ビビって』たんだ。
平気な顔でその通り魔に蹴りを入れたのは誰なんだよ?
僕がこっそり呆れていると、服部さんが突然、椅子を鳴らせ立ち上がる。
春日さんと二人でそんな服部さんを見る。
「…襲われたんですか?」
今にも倒れてしまいそうに蒼い顔をしている。
それに気付かないのか、春日さんが普通の調子で答える。
「うん、そうなのぉ」
「…そう…だったんですか。それで犯人は?見たんですか?」
何だか様子がオカシイ。
何だか物凄い意外な事を聞いたように見える。
そりゃ、僕だって春日さんが襲われた時には驚いたけど、春日さんに被害者になる資格がないとも思えない。そもそも、服部さんが何故そこまで春日さんが襲われた事に驚くのか良く分からなかった。
「暗かったからねぇ。でも、これ以上続くようだと私にも考えはあるのよ~ん」
「考え、とは…?」
服部さんの質問に春日さんはニヤ~と笑って話を逸らす。
「服部ぃ、どしたの?」
春日さんの言葉にハッとしたように瞬きをして、取り繕うように言う。
「いえ、暑いですから何か飲み物いります?」
「欲しい欲しいぃ」
「麦茶でいいですか?」
そう言いながら部屋の隅に置いてある小さな冷蔵庫に向かう。
その後ろ姿がどこかおかしい。
背中を絶対に曲げようとしないのだ。
何だろ。
姿勢を良くする為に1メートルの定規でも入れているのかな?
どうでもいいけど、見ているこっちが辛くなりそうな姿勢だった。
「僕がやりますよ」
「あ、君塚もいたのか。じゃぁ、頼むよ」
今頃、僕の存在に気付いたようだ。
そりゃ、派手な春日さんと比べれば僕なんて存在感の欠片もないけど。
席に戻った服部さんが春日さんに話し掛けるのを背中越しに聞くともなく聞いてしまう。
「…あ、そう言えば怪我は?」
「ないよ~ん。でも」
僕が麦茶を春日さんに渡すと一気に飲み干してしまう。
「通り魔の方がしたかにゃぁ、怪我」
そう言うと服部さんを見つめる。
ついでなので服部さんの前にもグラスを置く。
春日さんの言葉に服部さんの目許がピクッと動く。
「つい、蹴り入れちゃったからなぁ。大した事ないとイイんだけど」
そう言うとウフフと笑う。

トランプ兵の反乱7

暫くすると息を切らせた五十嵐さんが戻って来た。
それと入れ代わるように服部さんが帰ってしまい、またもや僕は逃げそびれて春日さんの隣にいる。
「春日ぁ~」
怨みの籠った声で五十嵐さんが言う。
「前から何度も言ってあったよな?月に一度は是非、我が家の晩餐へ、お越し下さいって」
強調するように細かく区切って言う。
「いやぁ、それどころじゃなくって」
照れた(何故?)ように春日さんが口元に手を当てる。
「態々、お前の好物だからって昨日はタンシチュ-だったんだぞ?俺は食いたくもないのに熱々のシチューを食ったんだぞ?」
「いいじゃん。美味しかったんでしょ?」
「ああ、旨かったとも!お前がいたらもっと旨かったんだろうがな!!」
二人の会話を聞いていて何となく気になったので質問してみる。
「あの、お二人の関係って…?」
僕の言葉に春日さんが面白そうに首を傾げる。
「何だと思う~?」
「え、何って」
何かと言ったら必ず一緒にいるし、仲は良さそうだ。
だから素直に思った通りの事を口にしてみる。
「…付合ってるとか?」
僕の言葉に二人揃って顔を見合わせて、同じタイミングで吹き出した。
「にゃ~はははっ、何て愉快な誤解をしてんだぁ」
「凄ぇ、想像力。面白過ぎだっつ-の!!」
春日さんと五十嵐さんでほぼ同じ反応をする。
やっぱりこの二人って気が合うって言うか何て言うか。
「真澄ちゃんってば、嫉妬しちゃったのかなぁ?」
「誰にですか?」
うふ~と笑うばかりで春日さんは答えない。
散々、笑ってそれに疲れたのか、春日さんが肩で大きく息をつく。
「それは兎も角」
「おぅ、」
二人ともやっぱり同じ人種だ。
あっさり話題を切り上げちゃったよ。
「服部、何かあった?」
「何かって?」
「何だか少し深刻ブッてた」
「ああ、」
思い当たるフシがあるのか、五十嵐さんが疲れたように会長席に腰掛ける。
「妹だよ」
「んにゃ?」
「目の中に入れても痛くないってぐらい、可愛がってる妹がいるのは知ってるよな?」
「ああ、カスミちゃん」
「そう、それ。それがどうやら部屋に閉じ篭ったまま出て来なくなったらしい」
「何で?」
「ぁあ?どうして春日が服部の事なんか知りたがるんだ?」
「私は誰の事だって知りたいよぅだ。女の子は噂話が大好きなですぅ。それに噂は本人のいない所でしないとねぇ」
理に適っているのか?いいや、何か違う。
だが、五十嵐さんは納得したのか、それともどうでも良いのかあっさりと口を開く。
「男に振られたんだそうだ」
「それでヒッキ-?」
可笑しそうに手を口に当てて笑う。こういう仕種に皮肉が混じっているように見えるのは僕だけなのだろうか。
「んじゃ、お兄ちゃんは心配だわね。相手は誰?」
「知らね」
「トシ、幾つだっけ?」
「真澄ちゃんと同年」
「って、ウチのガッコ?」
「イヤ、確か女子高だったと思う」
記憶を手繰っているのか、五十嵐さんがボソボソと近在にある学校名を口にする。
「清蘭だったんじゃないか?」
「清蘭かぁ、お嬢だね」
「そうなんですか?」
「うん、ナンパされる率がググッと高いね」
何だか判断基準が違うような気がする。
「ナンパかぁ、」
春日さんは自分の言った言葉に何やら考え込んでしまう。
「そうだな。清蘭に関する事だったら綿井に聞くのが一番、早いんじゃないか?」
五十嵐さんがそう言う。
どうして?という顔をした僕に目を向けて答えてくれる。
「夜遊び魔人、別名ナンパ王だからな」
へぇ、と僕が納得してると春日さんが手をポンと鳴らす。
「ソレだ!」

トランプ兵の反乱8

「綿井ク~ン」
語尾を鼻に掛けた甘い声で春日さんがいう。
否。
それは好意を持っているようなモノではなくて。何と言うか。
「何だよ、何企んでやがるっ」
言われた本人にも分かってしまうくらい、下心アリアリの声だった。
「何ってぇ、そんな警戒しないでよぉん」
春日さんの顔を見て大きく溜息をつくと綿井さんが前髪に手を当てる。
「いいか、春日。俺はお前の本性を知ってんだ。今更、そんな声しても顔されても騙されないって-の」
「えへっ」
両手を口に当ててカワイ子ブッた笑顔を浮かべる。
「別に騙そうとしてるんじゃないもん。ただ、ちょっとお願いがあるだけだもん」
「それを下心って言うんじゃねぇのか?」
「へぇ、折角アリスとのデートをセッティングしてあげようと思ってるのにぃ」
「なっ!」
春日さんの陰に隠れていた僕までもが驚きの声を上げてしまう。
「何だよ、マジで?!」
「そんな事は聞いてません!」
内容は違うがほぼ同時に春日さんに詰め寄ってしまう。
「お、君塚。今日もカワイイな~」
こんな時でも僕をからかうのを忘れない綿井さんってある意味、凄いのかも。
「但しぃ、お願いを聞いてくれたらね」
「何でもしてやるぞ」
やる気満々になってるし、綿井さん。
「ん~とね、今日から暫くの間、アリスと一緒に帰って欲しいナリね」
「何でっ!」
つい春日さんを怒鳴ってしまう。
後日の約束なんてどうにでもできる。ドタキャンだろうが何だろうがやってやる。
だけど、今日の約束じゃ逃げる時間がない。
どう考えても春日さんは僕が綿井さんを苦手に思っているのは知っている筈だからだ。 ただの嫌がらせなのか?
しかも『アリス』だ。
「待ち合わせは閉門間際」
春日さんの言葉に通り魔の事を思い出す。
昨日、春日さんはその時間に学校を出て襲われたのだ。
でも。
「昨日、失敗したのに今日も来るんですか?」
僕の質問に春日さんは人を食った笑みを浮かべる。
「今日、来なくても来るまで続ければいいだけじゃ~ん」
悪魔だ、この人。
そして何の根拠のないまま、囮作戦三日目。
どこから調達して来たのか、サイズピッタリの女子標準服を着込んで今日も閉門間際まで学校にいる。
「ヨシ、そんじゃぁ真澄ちゃん」
春日さんがどうしてだか、嬉しそうに言う。
「今日も可愛いよぉう。頑張ってね~」
ユノさんの呑気な声に送られて校門に行く。
綿井さんが「よっ」と手を上げるのに小さく頭を下げて門を潜る。
ハッキリ言ってこんな計画、乗り気ではない。
女装すんのもいい加減、慣れて来た(それも困る)からこの際、構わないと言えない事もない。
ただ、春日さんが何も教えてくれないのが不満だった。
春日さんには通り魔の見当が付いているようなのだ。そして襲われる条件も。
僕に分かっているのは春日さんが全部お見通しって事だけで、それだってもしかしたら当てずっぽうなのかも知れないのだ。
だからその根拠を教えて貰えれば僕だってもう少し納得したと思う。
考え事に夢中になってどうやらかなり速度が上がっていたようだ。
問題の路地に差し掛かり、ほんの少し不安になって振り返ってみる。
後ろにいる筈の綿井さんの姿は見えない。
どうしようか。
綿井さんが来るまで待った方がいいのかな。
でも、こんな何もない所で立ち止まっていたら不自然だし。
春日さんの口ぶりからすると、通り魔は被害者の女の子の後をつけてたみたいだし。
だったら普通に歩いて行かなくちゃいけないんだろうな。
できるだけゆっくり歩いていると、ポケットに入れた携帯電話が振動する。
「も、」
「どこだ?!」
応答しようとしたら、先にアチラが問い掛けて来る。
綿井さんだ。
「え?どこって…、駅に向かう途中ですけど」
戸惑った声で返事をする。
「途中のどこなんだ?」
何だか焦燥した声。慌てている?
「どこって、…もしかして後ろにいないんですか?」
不安と驚きで後ろを振り返ろうとしたのと同時に気配を感じた。
「悪ぃ、今直ぐ追い付くからそこで待ってく、」
綿井さんの声が途中までしか聞こえない。
突然、物陰から現れた人物に首を絞められたのだ。
咄嗟に犯人の手にした紐状なモノの内側に手を入れ、何とか食い止めるが力の差があり過ぎて余り意味がない。
僕の指毎、紐が首に食い込んで来る。
結構、って言うか…かなり苦しいかも。
足がもつれて倒れても犯人は僕の上に乗って本格的に首を絞めて来る。
気絶しちゃいたいけど、そのまま死んでしまうのは厭だ~。
そんなしょうもない事を思っていると軽い衝撃に続いて突然、呼吸が楽になる。
何とか起き上がり軽く咳き込んでみる。
「大丈夫か?!」
綿井さんがそんな僕を立たせてくれる。
ああ、犯人に飛び掛かったのか。
「これが…大丈夫なら大抵の…事は大丈夫だと、思いますよ」
僕の言葉にシュンと綿井さんが項垂れる。
「悪ぃ、ごめんな。俺の所為で」
「本当に」
そう言ったのは僕ではなくて、冷たく低い女性の声。
二人で揃って声のした方を振り向くと、そこには仁王立ちした春日さんがいた。
「私は何て言った?アリスから目を離すな、と言わなかったか?」
春日さんの言葉に綿井さんが増々、肩を落とす。
「綿井が絶対にアリスを守るって言うからできるだけ関わる人数を減らしたんだ。なのに、このザマか。こんな事なら五十嵐に頼むんだったよ」
そう言えば、今回に限って五十嵐さんは一枚噛んでいなかった。
いつもは呼ばなくても来るのに、どうしたんだろう?
そんな事をぼんやり考えていると春日さんが路地の反対側で倒れたままの犯人に近寄る。
「どうして罠に掛かったりなどしたんだ」
さっきとは違う、どこか遣る瀬ない感じの怒った声で犯人に問いかける。
「始めから君を捕まえる為の罠だと分かっていたのだろう?」
春日さんは怒りのままに犯人の肩を掴み無理矢理その顔を僕に向ける。
「そのタイは借り物なんだ。返して貰えないかな、服部君」

トランプ兵の反乱10

どうやら相手はユノさんのようだった。
普段の脳天気な声を出す。
「お待たせ~。こっちに連れて来てくれるかにゃぁ?」
春日さんが通話を切って三十秒もしない内にユノさん登場。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん!」
場違いな程に明るく言うと背後にいた人物を無理矢理、室内に連れ込む。
知らない女の子だった。
フワフワの髪に色の白い、比較的可愛い感じのする子。
「服部カスミちゃんだ」
諸悪の根源、登場って感じ。
可愛い事は可愛いんだけど、ちょっと僕は避けちゃうタイプかも。
何だか気が強そうって言うか、我侭そうって言うか。世界は自分を中心に回っているって思っているタイプっぽい。
如何にも『女の子』って感じがして少し怖い。
カスミさんは俯いていた顔をキッと上げ真直ぐに春日さんを睨み付ける。
「何なの」
低い、押し殺した声で言う。
「突然、人の家に来て何すんのよ。莫っ迦じゃないの。住居不法侵入もいいトコよ。警察呼ばなかったのはお兄ちゃんと同じ学校みたいだったからよ!」
「違うだろ。君自身、警察に来られちゃ困るからだろう」
素っ気無い、冷たい声で春日さんが答える。
その言葉に一瞬、狼狽えの色が浮かぶが直ぐに言い返す。
「何、訳分かんない事言ってんのよ!どうして私が困るって言うのよ」
「知っているんだ」
「何を?!」
今にも春日さんに掴み掛からんとするように前身して手を伸ばす。
「やめろ…」
ポツリと呟かれた言葉。
それにカスミさんはハッとしたように始めて部屋の中に目を向ける。そして、
「お兄ちゃん!」
服部さんを見て傍に行こうとする。
だけど、服部さんはそれを拒絶してしまう。
「やめろ、来るな」
「…どうしたの?」
「全部、バレたんだ。俺はお前の所為で犯罪者だ」
「何…言ってんの?」
「ああ、別にお前が悪いんじゃない。お前に言われて断れなかった俺が悪いんだ。綿井に振られて元気のなくなったお前を見て、俺が決めた事なんだ。例えお前が指図した事であっても、実際に『通り魔』したのは俺なんだ」
「通り魔?何の事、お兄ちゃん?」
頭を抱えて蹲ってしまった服部さんにカスミさんが言う。
それに弾かれたようにカスミさんを見たのは服部さんではなく、綿井さんだった。
「何、言ってやがるんだ。お前が兄貴に言ってこの学校の女を襲わせたんだろうが!」
「あら、綿井さんお久し振り。でも、もう会わないんじゃなかった?」
「俺は会うつもりなんてなかったよ。でもお前の兄貴のした事の所為でこうしてここに集まったんだ」
「そうそう。通り魔…とか。何の話なの?」
「シラばっくれんのか?」
唖然とする綿井さんを手で止め、春日さんが再び口を開く。
「この学校の生徒が五人、通り魔に襲われたんだ。犯人はアンタの兄貴の服部。動機はアンタが頼んだから」
「え?本当に?」
とぼけようとしたのか、可愛らしくショックを受けているポーズを付けているカスミさんに僕は言葉もなくなる。
「言っておく。私にそのテは通じないから無駄だよ」
低く春日さんが嘲笑う。
それにカチンと来たのか、カスミさんは好戦的な目で部屋の中にいる人に目を向ける。
「先生、言い掛かりです。私は何も言ってませんし、そんな事には何の関わりもありません」
目に涙を浮かべ、三田先生に取りすがる。
「君…」
先生は驚いたように目を丸くする。
何をそんなに驚いているのか僕には分からなかったが、春日さんの目がキラリと光る。
「兄貴の学校に来た事は?」
「え、」
「ウチの学校は文化祭なんてないし、体育祭も父兄の来校は遠慮して貰っている。それでも来た事があると?」
春日さんの質問に暫し考えカスミさんが答える。
「ない、わ」
「そうか。ならば決まりだ」
「何がよ?!」
思わせぶりなその言葉が癇に触ったのか高い声で叫ぶ。それに春日さんは平然と答える。
「君が現場にいたという事が、だ」
「は?!何でそうなるのよ。そんな証拠、どこにあるって言うの」
「今、君が言った通り、そこにいるのは確かに教師だ。でも、どうしてそう分かった?ウチの学校は見ての通り制服の着用は生徒の自由にされている。そして三田先生は受け持ちクラスの生徒でない限り、皆間違えてしまうんだ。その童顔の所為でね」
そう言うと僕を振り返り言葉を続ける。
「最初、三田先生を見た時にユノの言葉を覚えているか?」
「あ…そう言えば本当に先生なのか、…って」
「ユノ、」
隅っこで壁に寄り掛かっていたユノさんが身体を起こす。
「う~ん、だってぇ生徒かな~って思ったんだもん。今でもビックリよ。本当に先生なのぉ~?」
言われてみればそうかも知れない。
教師の中で一番若く、僕だって学生気分の抜け切らないって思ってたんだ。
「紅林さんが襲われた時、先生は一緒だったんですね?」
「ああ…そうだ。俺がいたのに守ってやれなかった」
どこか呆然とした声で先生が言う。
「突然の事だった。本当にアッと言う間だったんだ。道に手をついて噎せている美也を見て、慌てて犯人を追ったんだ。でも、それがいけなかった。美也には俺が一人で逃げ出したように思えたんだろう。それから部屋に籠ったきりで、」
「先生と紅林さんの関係は?」
「兄妹だ。母が三年前に再婚して、俺は成人していたから籍を変えなかった」
「成る程。今回の依頼は妹の為だったんですね?」
春日さんの言葉に先生が頷く。
「今からでも遅くありません。妹さんのお見舞いに行って安心させてあげたらどうですか。妹さんは多分、先生の思っているような事で悲しんでいるんじゃないと思いますよ。事件から一度も先生が会いに来てくれないからちょっと拗ねているんじゃないでしょうか」
春日さんは先生の目を真直ぐに見て言う。柔らかく頬笑んでいるその姿は吃驚する程に優しさに満ちていて僕は言葉を失う。
「一人で逃げ出した俺を許してくれるだろうか」
「いいえ、先生は逃げ出したのではないでしょう?犯人を、妹を襲った悪漢を追っただけでしょう?それに犯人にもう二度とそんな事させないように私達に依頼したのでしょう。妹さんの為に」
「ああ、」
「なら平気ですよ。キチンと話せば分かってくれる筈です。何せ、血の繋がった兄妹なんだから」
春日さんの言葉に励まされたのか、先生が小さく笑顔を見せる。
「ありがとう、春日」
「どう致しまして」

トランプ兵の11

先生が部屋から出て行くと春日さんが底意地の悪い笑顔でもう一組の兄と妹を見る。
「分かったか、この甘ったれ」
途端に言葉遣いが乱暴になってるし。
「愛情って言うのは押し付けたり、計ったりするモノじゃないんだよ。自分の兄貴を犯罪者にして楽しいかよ」
さっきとはガラッと変わって乱暴な言葉遣いになっている。
「知らないわよ。さっきのは何となく大人っぽい人だなって思ったから先生じゃないかなって思っただけよ」
「いいよ、好きなだけ嘘吐いてろ。こっちには物証があるんだから。ユノ、」
「はいは~い」
やけに明るい声で春日さんに近付くと何か差し出す。
それは小さな銀の十字架。
「私の、だ」
手の平で転がしながら歌うように言う。
「服部の家の二階の部屋にあったよぅ」
ユノさんが言う。
「ユノは有能~。駄洒落みたいだな」
一人ボケツッコミをしてカスミさんに向き直る。
「これでもまだ?」
「そ…れは私の」
「あ~ん、駄目ダメ。だって裏に名前彫ってあんだも~ん」
渡された十字架を良く見てみると、ホントだ。
小さくshionと彫ってある。装飾性の高い文字なので模様かと思ってしまいがちだけど、言われてみれば確かに春日さんの名前だ。
「シルバーの十字架なんてそこらでゴロゴロ売ってるからね。それに私と会う事もないだろうって油断したねぇ」
いい加減、諦めたのか春日さんの言葉にカスミさんは項垂れてしまう。
「…それで、どうしろって言うの」
泣いているのか声を途切らせながら訊く。
「ん~?何かイマイチ反省してないみたいだけどぉ。まぁ…ショ-ガナイか」
呆れたように肩を竦め、今度は服部さんを見る。
「『お兄ちゃん』の方は反省してるよね?」
その言葉に服部さんが躊躇うように小さく頷く。
「じゃ、家族で話し合って決めて貰いまショ」
「は?!」
その場にいた全員が声を揃えてしまう。
それがシメの言葉なのかい。
流石、春日さん。
行動と言うより思考が全く読めない。
「何だよぉ、皆してそんな声出して」
皆の反応に春日さんは不満そうだ。
綿井さんとユノさんが憐れみの籠った目で僕を見る。
え?
えぇ?
僕が春日さんにツッコミ入れなきゃイケナイの?
ユノさんに至っては肘で僕を押し出すようにする。
ハァと溜息をついて仕方なく僕は春日さんに言う。
「あの、こういう場合はもう少しその場の空気に合った言葉の方が皆は納得できるんじゃないでしょうか」
「んむぅ~?」
訳の分からない声を出して春日さんが僕を見る。
「その、何て言うか…その言葉に至るまでの春日さんの思考の経緯を教えて貰えたら、と」
「あ、そか」
ポンと手を打ち、改めて兄と妹を見つめる。
「別に見習えって訳じゃないんだけど。三田先生が妹の為にした行動、理解できるよね?妹が君に襲われて逆上しちゃって、妹の介抱よりも君を捕まえる事を優 先させてしまった。それでも逃げられてしまって、私達に依頼して来た。これって全部、妹の為にした事でしょう?なのに君たち兄妹はどうだって言ってんだ よ。妹が失恋しました。その腹いせに全く何の関係もない女の子を襲って下さい。よし、分かりました。そうしましょう」
長い台詞をそこで一旦、切るとのほほ~んとした顔つきで言う。
「妹がどんなに可愛くても犯罪はダメって事。飽くまで正攻法で行かないと、」
そう言うと、今度はカスミさんの肩を掴む。
「お兄ちゃんがカスミちゃんの味方なのはもう分かったでしょう?そんなお兄ちゃんを困らせるようなお願いはもうしちゃダメよん」
言うが早いがカスミさんの頭に拳を振り降ろす。
容赦のない一発にカスミさんはその場に尻餅をつき、呆然としている。
それを見て春日さんは爽やかに笑う。
「正義の鉄槌~」
「それだけ…?」
呆然としたように服部さんが呟く。
それに春日さんは笑顔全開で頷く。
「うん。だって、こんなの子供の喧嘩みたいなモンでしょ?」
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