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七転八倒(レンマサ)

どうせいないだろうと思ってドアを開け途端、予想に反して同室者の姿を見てしまう。
ただいまと言えば良かったかなとは思ったけど、互いに犬猿の仲なのだ。挨拶ぐらい構わないだろう。
聖川も同じ事を思ったのか、小さく「お帰り」と呟いて手元に目を落とす。どうやらお勉強中だったらしい。教室でやってくればいいものを。
やれやれと肩を竦めて、自分のソファに腰を降ろす。
いつもならまっすぐ部屋に帰ったりはしない。レディたちと戯れ、ひとときを楽しむ。恋愛が御法度なのは全員が承知している。だから、それはただのゲーム。息をするように甘い言葉を囁き、気が向けば肌を重ねる。それだけだ。
首に巻いていたタイを外して、天井を見上げる。
ちょっと疲れてるのかも知れないな。
そんな事を考えながら視線を戻し、机に齧りつく聖川を見つめる。
斜め後ろにいるオレからは聖川の顔が半分しか見えない。透き通るような白い頬、伏せられた睫毛の下にある特徴的な泣き黒子。何か呟いているのか時々動く赤い唇。
「っ、」
自分の思考にビックリして息を飲む。
何で聖川の顔なんかマジマジ見つめてんの。ヤバいでしょ。
幸いな事にこちらの様子は気付かれていないらしい。ペンを持ち替えてサラサラと何やら書いている。何か課題でも出たのかな。
ピンと伸びた背筋、浴衣の襟から覗く白いうなじ。
ドキッとする。ってか、ムラッとした。
え、何で。うんざりするほど見慣れてる筈だろ。今更、聖川を見てドキドキする意味が分からない。
って言うか、何で私服が浴衣なの?
ここは温泉ですか、お前は湯治客かっての。
そんな風に思うけど、やっぱり綺麗な物は綺麗だ。
正直言って化粧していない分、学園にいるレディたちより綺麗だと思う。でも、その綺麗さはレディたちのような柔らかいものと違って、研ぎすました刃物のようだとも思う。近づいたら斬って捨てられそうな感じがする。ちっちゃい時は可愛かったのに。
そう言えば昔は真斗って呼んでたっけ。
何も知らないで、ただ大人たちの中にいた自分と同じぐらいの子供を見つけた嬉しさに声を掛けて連れ出した。真斗も同じ気持ちだったのか、ホワホワと笑いながら手を繋いでたっけ。そのちっちゃい手が可愛くて、ずっと離したくなかったな。
ヤベぇ、可愛い。
思い出に浸って口元が弛んでいたのか、振り返った聖川が怪訝そうに顔を顰めている。
「何なんだ、ニマニマして気味の悪い」
いつもならそんな事言われたらムッとするけど、今は思い出の方が勝っている。
見る度に腹の立つ顔だと思ってたけど、当然と言えば当然なんだけど、よくよく見てみれば、あのちっちゃな真斗の面影があるし。あ、ダメだ。本気でヤバいわ。
「お願いがあるんだけど、いいかな」
目を細めてそう切り出せば、聖川が不可解そうに眉を寄せる。そんな顔されても可愛いとしか思えないのは、きっと疲れているからだ。
「何だ、改まって」
こっちに向かって座り直す。そういう所に育ちの良さが出てるよね、お前は。
「……お兄ちゃんって呼んでみて?」
そう言った途端、不可解通り越してゴミを見るような目になった。何でそんな顔するかな?
首を傾げて見つめると、それに耐えられなかったのか聖川が目を伏せる。
何だか葛藤してるみたいで可愛い。何と葛藤しているんだろ。嫌悪かな、屈辱かな。
そう思ったら、さっきのドキッがムラッとに変わった。
無理矢理でもいいから押し倒して泣かせたい。嫌がる身体を無理に開いて自分の物にしたい。
そういう趣味はないと思ってたけど、聖川相手ならアリだわ。多分。
ああ、でもやっぱり可愛く甘えられるのがイイかも。
昔みたいに心を許し切った笑顔で『お兄ちゃん』とか呼ばれたら萌え転がって何でも買ってあげちゃうね、きっと。
でも、聖川は絶対に言わない。
聖川を突き放したオレを許してはくれないから。
だから見つめ続けるのは、不意に沸いた欲望の所為だ。いつものように素っ気なく無視されておしまい。そんなのは分かっている。
ふぅ、と息をついて聖川が目を上げる。
キツい事を言われると身構えるが、オレを見るその目は記憶と同じく砂糖菓子のように甘ったるい。
え、まさか……あり得ないでしょ、ねぇ……?
ソワソワするオレを見据えて、大きくなった真斗が口の中で転がすように呟く。
「お兄ちゃん……?」
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エゴイズム1(レンマサ)

子供の頃の一年は大きい。俺はそう思う。
出会った頃の神宮寺は人懐こくて面倒見が良かった。子供らしく茶目っ気のある笑顔と柔らかな物腰。だから出会ってすぐに仲良くなった。
たった一つしか違わないのに、俺の知らない事を何でも知っている神宮寺を尊敬したし、兄のように慕ってもいた。それが満更でもなかったのだろう。神宮寺は厭な顔一つせず俺と遊んでくれた。
だが、ある時を境に俺たちの関係は変わってしまった。
俺は神宮寺にハッキリと拒絶されたのだ。
その時は傷つき人知れず涙を流しもした。自分にどんな非があるのかと考え込む事もあった。しかし、時が経つにつれて考え込む事は減って行き、以前親しかった事すら忘れてしまった。
パーティーや会合などで顔をあわせる機会は度々あったものの、俺に無関心な神宮寺の姿を見るとそうせざるを得なかったのだ。
それから表面上は何も問題のない日々が続いた。
聖川の嫡男としての立場や責任のある俺は自分でも知らぬ間に父の描いたレールの上を走らされていた。それを知った時、俺は怒りと共に納得もした。道理で何をしても褒められた事がない訳だな。
父からしてみたら、俺のする事など出来て当然。ただそれだけだったのだ。
一度でいい。自分らしい生き方をしたい。父の反対を押し切って受けた早乙女学園だったのに、そこで神宮寺と再会するとは皮肉な事だ。しかも相部屋とは。
常に突っかかって来るしか能のない神宮寺と二人きりになるのは苦行に近いものだった。特に今朝のように子供の頃の夢を見てしまったあとは切なくもなる。
起き上がり気配を窺うと神宮寺はどうやらまだ眠っているらしい。そそくさと着替えを済ませ、ドアを開けて廊下に出る。早朝と言う事もあって辺りに人影はない。それにホッとする。
今は誰とも顔を合わせたくなかった。

それに気付いたのは教室にいつものメンバーが集まってからだった。
おっとりと話す七海の周りにはいつも人影が絶えない。本人にその自覚はないのだろうが、相手を和ませる雰囲気を持っている。七海と仲のいい渋谷は反対にハキハキしていて物怖じしない。だから気が合うのだろう。二人が仲良く登校して来たのを皮切りに一十木がやって来て、四ノ宮がその輪に加わる。
楽しそうにお喋りしているのをボンヤリ眺めていると、意外に目敏い七海が俺に声を掛けて来る。
「聖川さま、具合悪いんですか?」
え、と思う。
身体はどこも痛くないし、気分だって今朝の夢からかなり回復していると思っていたからだ。
怪訝な顔をする俺を見て七海が心配そうに首を傾げる。
「お顔の色が少し、」
そうだろうか。自分ではいつもと変わらないつもりだったが、七海がそう言うのならそうなのかも知れない。
そのやり取りを聞きとめたのか渋谷までもが俺を見つめて来る。
「本当、酷い顔色だよ。大丈夫?」
ズバリと言われて苦笑してしまう。こんな風に言われても腹が立たないのは渋谷が心配してくれてると分かるからだ。
「少し休んだ方がいいよ、マサ」
「そうですよ、先生には言って置きますから」
一十木と四ノ宮にまでそう言われて、大丈夫だと答えようとする。だが、答えられなかった。
口はその言葉の形に動いているのだが、声が出ないのだ。
「聖川さま……?」
七海が不思議そうに俺を見つめる。その視線に焦りすら覚えて、何とか声を出そうと口を動かす。だが出ない。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
渋谷に肩を掴まれ、その拍子にクラっと目眩を覚える。視界がグルグルと回り、立っている事さえ出来ない。
「真斗くん!」
四ノ宮が大声で俺を呼ぶ。だが、それを最後に俺の意識は途絶えてしまう。
次に気が付いたのは病室だった。
枕元に担任の教師が座り込み、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
彼女の説明によると、俺が教室で倒れたあとすぐにやって来たらしい。教室中が大騒ぎになっているのを見て何事かと慌てたが、すぐに救急車を呼んで病院まで付き添ってくれたのだと言う。
起き上がろうとするが、軽く押止められ「何があったの?」と目を覗き込んで来る。
その質問に答えようとするのだが、先ほどと同じく虚しく口をパクパクさせるだけで声は出なかった。
「声が出ないのね?」
その言葉に頷き返す。すると、何かを考え込むように腕を組んで黙り込んでしまう。
やがて顔を上げると、「詳しい検査をして貰いましょう」と宣言する。
「何が原因なのか分からないけど、そのままって訳には行かないでしょ?」
そう言ってパチンと片目を瞑ってみせる。
「大丈夫よ、心配しないで」
明るい人で良かった。フワンと笑う月宮先生にホッとする。
下手に同情されるより励まして貰えた方が助かる。この人がそう言うのならきっと大丈夫なのだろう。そう思えるからだ。
「あんまり気にしちゃダメだからねー」
そう言って手を振り帰って行く先生をベッドから見送る。
大丈夫だ。原因が分かればすぐに良くなる。
きっと七海は自分の事のように心配しているだろう。学園に戻ったら謝らなければならないな。
そんな事を思いながら目を閉じ、眠りにおちる。そして今朝と同じ夢を見た。

様々な検査を受け、下された診断は「心因性によるもの」という何とも雲を掴むようなものだった。
だからと言って医者に文句を言う訳にも行かない。何故なら俺の身体にはどこも不調がなかったのだ。苦し紛れの言い訳のように聞こえたが、案外それが事実なのだろう。
生活環境が変わり、それがストレスとなっているのかも知れない。だとしたら俺に出来る事は一つだけだ。
学園を去る。
声が出ない以上、居残ったとしても俺には出来る事は何ない。志し半ばで帰るのは悔やまれるが、他にどうしようもなかった。
事前に伝えてあったので退院したその足で寮に戻り、荷物を纏める。
この時間はまだ授業があるので部屋に神宮寺の姿はない。もう二度と会う事はないのかも知れない。そう思うと、書き置きの一つでも残してやりたくなるが、神宮寺の事だ、読みもしないで丸めてしまうかも知れない。
溜め息をついて纏めた荷物を手に取る。
僅かな間しかいなかったが、俺にはここが居心地良かった。そう思う。
生まれて始めて自分の意思で選んだ道なのだ。本当はもっとここにいて、色んな事を学びたかった。しかし声が出ない以上、俺がここで学べる事は何もないのだ。
後ろ髪を引かれる思いで寮を後にして聖川の家へ戻った俺を待っていたのは父の冷たい眼差しだった。
無理もない。
反対を押し切って早乙女学園に行ったのだ。それなのに途中で帰って来たのだから、父の目にはさぞや不甲斐なく映っている事だろう。
入院させられ、検査を受ける日々が続いた。
早乙女学園を去った時に俺の中で何かが消えてなくなっていたので、特に抗う事はせず父の言葉に従った。そんな事を一年近く続け、漸く父は俺の声が出ないと諦めたようだった。
家に戻され、告げられたのは聖川の別宅に行くように。ただ一言だった。
何代か前に芸者を囲っていたらしい。昔の事なので詳しくは知らないが、家を買い与えてあったと言うのだけは知っていた。だが、その妾宅が今も残ってるとは思わなかった。
使い物にならない息子を閉じ込めて置くのに丁度いいと言う事なのだろう。
一種の軟禁だと言うのに、俺はどこか他人事のように従った。どうでも良かったのだ。
自分の将来に何も希望を持てなくなっていた。
声が出ない原因に心当たりは全くなかったが、誰かの所為にする訳にも行かないだろう。どう考えても俺が悪い。父の反対を押し切って学園に行った事、そこで声が出なくなった事。全ては俺自身に原因がある。
小さい頃から面倒を見てくれた爺が付いて来ると言い張ったが、何とかそれを押しとどめた。まだ幼い真衣の傍にいて欲しかったからだ。ならばと数人の使用人を付けられる所だったが、それも固辞した。
声が出ないだけで他の事は出来るのだ。自分の事ぐらい自分でしたかった。
煩雑なやり取りを経て、食事の世話をする家政婦が通いで来る事になった。
始めて足を踏み入れる聖川の別邸は古い日本家屋だった。今どきにしては珍しい平屋建てで、庭に向かって縁側がある。荷物を解くのを後回しにして、縁側に座る。
これからどうなるのだろう。
不安がないと言えば嘘になる。恐らく成人までは面倒を見て貰えるだろう。幾ら使い物にならなくなったからと言って、ここで放り出してしまっては世間体が悪い。それに父が俺をあっさり見捨てるとも思えなかった。成人するまでの数年で治れば、素知らぬ顔で再び聖川の嫡男として扱うつもりだろう。
だが、治らなかったら。
その時はどこか病院にでも押し込めて、他に後継者を見つけて来るに違いない。何しろ紙切れ一枚に息子の人生を書き留めて置くような人なのだ。親子の情など期待する事は出来ない。
暗澹たる思いで庭を眺める。
掃除だけはしてくれたらしく、庭もそれなりに手入れがされている。
大人の目線近くまである生け垣に囲われ、草で覆われた小さな花壇と一つだけ木が植えてある。何の木だろうかと気紛れを起こし、揃えてあるサンダルに足を通して近づいてみる。
草で気付かなかったが、木のすぐ傍に池があった。
長らく陽が射していなかったのか、水が淀んでいて底が見えない。二畳ほどの小さな池だと言うのに、その所為なのか少し気味が悪い。
目を逸らすと同時に玄関の引き戸が開く音がする。通いの家政婦が来たのだろうか。
約束では明日からとなっていたが、様子を見に来る事はあり得るだろう。そのまま庭を回って玄関に向かおうとするが、それより早く訪問者が縁側に姿をあらわす。
細身のスーツと肩に掛かる長髪。神宮寺だった。
俺を見て神宮寺は足を止める。ネクタイは締めておらず、襟元のボタンを二つほど開けている。久しぶりに目にするその姿に懐かしいと思う反面、だらしないと顔を顰めてしまう。
だが、それを言うのはお門違いもいい所だったし、そもそも今の俺には声が出せない。小言の代わりに目を逸らし、気味が悪いと思った池を意味もなく見つめる。
そんな態度を取ってしまったのは、その直前、神宮寺がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたのを見た所為かも知れない。
何しに来た。
そう問い掛けたいところだが、それも出来ない。その時になって漸く俺は声が出ない不便さを思い知る。
これまでは筆談で何とかなっていたのだ。そもそも父と話す時に俺が口を開く事は滅多にない。ただ「はい」と「いいえ」を繰り返すだけなのだから頭を動かすだけで事は足りた。
病院で月宮先生にしたように目を見つめれば多少の意思の疎通は可能だろう。だが、俺は神宮寺から目を逸らしてしまっている。今更どうしろと言うのだ。
軽い苛立ちを覚えて立ち去ろうとする。だが、庭から出るには玄関に回るか、神宮寺のいる縁側に向かわなくてはならない。進退窮まり、仕方なく縁側へと視線を戻す。
神宮寺は変わらず立ち尽くしていた。俺が振り向いたのを知って、心なしか少しホッとしようだ。おかしな奴だ。いや、そうではなく。どうして神宮寺がここにいるのだ。
咎めるように見つめると、短く溜め息をついて神宮寺がその場で胡座を掻く。
「報告をしようと思ってね、」
報告。何の報告だ。
俺が聖川という財閥の嫡男であるのと同じように、神宮寺は財閥の三男として生まれた。それが神宮寺のコンプレックスの元らしいとは分かっていたが、俺にはどうする事も出来ない。それを受け入れるか拒否するか、本人にしか決められないのだ。
ただ同じ財閥と言う事で少しは互いの家の事情は分かっている。それでも神宮寺から俺に報告するような事柄に心当たりはない。
怪訝な顔をする俺から目を逸らし、自分の膝の辺りに視線を落とした神宮寺がポツンと呟く。
「真衣ちゃんと婚約したよ」
その言葉に眉が寄ってしまう。
まさか父がこんなに早く動くとは思っていなかったのだ。だが、早晩こうなるだろう事は想像していた。
長男として育てた俺が駄目になったのだから、真衣に婿を取るしかないだろう。家柄を思えば神宮寺ほど丁度いい相手はいない。だが、真衣はまだ小学生なのだ。幾ら何でも早過ぎる。
それに神宮寺は学園を卒業してからアイドルとして活動している筈。結婚は間違いなくスキャンダルだ。事務所がそれを許すとは到底思えない。
そんな俺の考えをさとったのか、神宮寺が苦笑のような物を口元に滲ませる。
「今のところは身内だけしか知らないよ。でも、徐々にアイドルは辞めされられるみたい」
眉を下げてそう笑う。
何故だ。
お前はいつもそうだ。
大した苦労もせずに全てを手に入れ、それを手放す時さえ惜しいとは思わない。自分がどれだけ才能に恵まれているかなんて少しも分かっていない。だから、そうやって少し困ったようなポーズを取るだけですぐに手放してしまえるんだ。
衝動的な怒りを覚えるが、何とかそれをやり過ごす。
声が出なくて良かったと思う。
声を出せたらきっと怒鳴りつけていた。いや、そうではなく。
おめでとう、と言うべき場面だったからだ。その両方を回避出来てホッとする。
目を合わせないままサンダルを脱ぎ、神宮寺の脇を通って部屋へと向かう。
ここに来たのは今日は始めてなのだ。突然の来訪を歓待する用意などある筈もない。さっさと荷物を解いてしまわなければ。

エゴイズム2(レンマサ)

家具は一式揃っている筈だった。だから俺が持って来たのは身の回りの細々とした物だけ。それでも自分一人では運びきれず、午後には業者が来る筈だった。
手始めに家の窓を全て開けようと思う。幾ら掃除がされてると言っても、空気が籠っているような気がする。
縁側にある窓を順に開けていると、神宮寺が「本当に声出ないの?」と無神経極まりない質問を投げかけて来る。それに冷たい一瞥を浴びせ、更に窓を開ける。それから台所に回り、そこの窓も開る。
しかし伸ばして手首を後ろから掴まれ、動きを止めてしまう。
足音がしなかったので気付かなかったが、いつの間にか神宮寺が後ろに立っていた。
「ねぇ、何で俺がここに来たのか気にならない訳?」
ご婦人を惑わす声が俺の耳元で内緒話でもするように甘く囁いて来る。その手を振り払い、僅かに距離を開ける。
何でと言われても、先ほど自分で言ったではないか。真衣と婚約した事を知らせに来たのだろうが。
そう言ってやりたいのだが、静かに見つめ返すにとどめる。すると、神宮寺が呆れたとでも言うように軽く肩を竦める。
「じゃ、質問を変えようか。どうやってこの家に入ったと思う?」
言われてみれば確かに不思議だった。
俺はこの家に来て鍵を使って玄関を開けた。そして、これまで空き家だったのと今日は自分だけなのだからと、内から施錠をしたのだった。ならば、神宮寺はどうやって入ったのだ。
怪訝に思う俺の目の前に神宮寺が「これ」と言って手を上げる。そこに握られているのは俺が持っているのと同じ鍵だった。
「聖川の家で貰って来たんだ」
どうして。
神宮寺がそれを欲する理由も、また父がそれを神宮寺に渡す理由も、全くもって見当が付かない。表情を変えずにジッと見つめると、神宮寺が口元にクスッと冷ややかな笑みを滲ませる。
「真衣ちゃんと婚約する事で神宮寺の家は聖川との太いパイプを得ただろうさ、でも俺は?あんなに苦労してなったアイドルを引退させられて、右も左も分からないまま企業のトップに立つ羽目になったんだよ。こんなに頑張ってるんだから少しぐらい見返りがあってもいいと思わない?」
何を言おうとしているのか分からない。確かに、三男である神宮寺が家を継ぐ事を前提に勉強していたとは思えない。事実、神宮寺の家は長兄の誠一郎が跡を継いだ筈だった。ならば、その言葉の通り今回の件は神宮寺にとってとばっちりだったと言えるのかも知れない。
だが、俺に言わせて貰うなら神宮寺はアイドルになる為に苦労なんてしていない。学園にいた頃、周りの生徒達は大変な努力をしていた。暢気そうに見える一十時ですら、試験の前には練習していたのだ。それなのに神宮寺は練習はおろか試験そのものをすっぽかそうとした。何とか周囲が宥め賺して試験を受けさせた結果、アッサリと合格。そんな奴が軽々しく『苦労』なんて言うべきではない。
非難を込めた目で見つめると、フッと神宮寺が視線を緩める。その表情が不自然なほど優しげに見えて、束の間、幼い頃の思い出に浸ってしまう。そんな俺の耳に唇を寄せ、神宮寺が掠れた声で囁く。
「俺が貰った見返りはお前だよ、聖川」
何を言われたのか分からずキョトンとする。
俺が……神宮寺が真衣と結婚する事に対する見返りとは、どういう意味なのだろう。
考え込んだ一瞬の隙を突いて、神宮寺が俺の手首を再び掴む。そのまま引き寄せられ、顎を捕らえられる。
何をする。
そう思った時には既に手遅れだった。濡れた軽い音をさせて神宮寺が離れる。
その間、俺はポカンと目を丸くするしかなかった。何をされたのか分からないほど子供な訳ではない。だが、どうして神宮寺にそんな事をされるのか。考えが追いつかず硬直していた。
「抵抗しないならもっとするよ?」
悪戯っぽいその声にハッとして神宮寺を突き飛ばす。理由なんかどうでもいい。この獣のような男から離れなくては。
だいたいからして神宮寺なら相手は選り取りみどりの筈だ。学園にいた時から恋愛禁止の校則を無視して、女性と見れば口説きまくっていたのだから。
すると俺の考えを読んだように神宮寺が口を開く。
「聖川家のご令嬢と結婚するんだからスキャンダルはアイドル以上に御法度っていうわけ。だからお前で我慢してやるよ」
何だ、それは。
頭に血がのぼって冷静ではいられない。力の限り神宮寺を押しやり台所を後にする。顔も見たくない。こんな奴が真衣の婚約者だなんて許せない。
明るい縁側に移動して家に抗議しようと電話を取り出すが、声が出ない事を思い出す。暫く家の電話番号を虚しく見つめ、そっと切る。第一、抗議したところで無駄だろう。
父はこうと決めた事は誰が何と言ってもやり通す。その父が神宮寺の要求を飲んだのだ。証拠はこの家の鍵だ。俺は父の決定に従うしかない。
家を出るという選択肢もある。だが、俺には無理だろう。
何だかんだ言ったところで俺はこれまで聖川の家に生かして貰っていたのだ。家を出てから行く宛などなかったし、そうなれば野垂れ死にするしかないだろう。
そうは言っても悔しさだけは押さえきれない。父にとって俺は後継者としての駒でしかなく、心配など掛けてやる値打ちもなくなたと言うのが、心底悔しかった。
様々な考えが一気に押し寄せ、呆然とする。崩れるようにして座り込むと、目に映る庭が僅かにぼやける。
こんな時ですら嗚咽の一つも出ないのか。そう思うと、悔しさにも増して虚しさに襲われる。
泣き出すでもなく、ただ庭を見つめる。すると、後ろから肩を叩かれビクッと震えてしまう。
「用が出来たからまた今度な」
振り向こうとしない俺の頭をポンポンと軽く叩いて神宮寺は玄関へと向かう。こんなにも俺の心を乱して置いて何事もなかったかのように立ち去る神宮寺が少し憎くなる。だが、それをぶつけるのは間違っているのだろう。俺の怒りの矛先は父であって、更には父の期待に応えられない俺自身にあるべきなのだ。

エゴイズム3(レンマサ)

それから一週間は何事もなく過ぎた。
通いで来てくれている家政婦は事情を聞かされているのか、俺に話しかける事を殆どしない。年齢は四十代半ばと言ったところだろう。料理をして掃除をして、そんなにない洗濯物をすると会釈を残して帰ってしまう。それでもテーブルの上に冷蔵庫に何があるかキチンとメモしてあるので困る事はなかった。
昼食を済ませ使った食器を洗うと、途端にする事が何もなくなってしまう。
どうしたものかと椅子に腰掛けてボンヤリとする。
考えようとしなくても考えてしまうのは、あのまま学園に残っていたらどうなっていただろうと言う事だ。
アイドルになると言うのはそう簡単に出来る事ではない。だから、きっと苦労しただろう。納得の行かない事だってやらされたかも知れない。だが、学園で知り合ったのは気持ちのいい連中ばかりだった。苦労しながらも一緒に成長出来た筈だ。ライバルであったが、仲間でもあったのだ。
無事アイドルになり、映画やテレビに出演し、俺は自分の思った人生を歩む。だが、それは期限付きの自由なのだ。
暫くしたら父の跡を継ぎ、結婚する。
どちらにしろ、俺に自由などない。だから声が出なくなって良かったのかも知れない。そんな後ろ向きな事を考えてしまう。
このままでいい筈などないのに、どうすればいいのか分からない。いや、そうではない。
自分がどうしたいのか分からない。
溜め息をつくと同時に表から車の音が聞こえる。トラックのようだ。
怪訝に思いながら玄関に向かうと、そこには作業服姿の業者がおり、ピアノを届けに来たと言う。
訳が分からずキョトンとするが、そんな俺に構わず作業服姿の男達がピアノを運び込む。アッと言う間に設置を済ませると「毎度、」と言い残して立ち去って行く。
残されたのは俺とピアノだけだった。
取りあえず一番広い部屋にと思って庭の見える和室に運んで貰った。防音の為なのか、畳に絨毯が敷かれており、その上にピアノが鎮座している。
艶のある黒い蓋を開け、椅子を引き、その前に腰を降ろす。
鍵盤に指を乗せると、勝手に動き出す。ショパンのエチュードだ。
爺はピアノ教師としては少し厳しく、俺の手がまだ小さいと言うのにこの曲を練習させた。間違えると最初から、何度も何度も。その甲斐あって、指が覚えていたらしい。
夢中になって思いつくまま次から次へと弾いて行く。
黒鍵のエチュードを弾き終えると、後ろから拍手が聞こえる。それにギョッとして振り返る。
いつの間に来たのか、すぐ後ろに神宮寺が立っていた。
スーツにネクタイ、だが、サラリーマンが着るようなデザインの物ではない。恐らく全て有名なブランド品なのだろう。ジャケットのボタンは閉めておらず、ネクタイに至っては首に掛かっていると言うだけで結ばれてもいない。
人を食ったような、意地悪な笑みを浮かべるその顔を睨みつける。
勝手に上がり込んで来た無礼もさる事ながら、どうやって玄関を開けたのだろうかと不思議に思う。神宮寺が帰ってからすぐに俺は鍵を付け替えたのだ。
俺が睨みつける中、神宮寺は傍の椅子から袋を取り上げる。
「楽譜も持って来たけど、いらないようだな」
そう苦笑混じりに呟くので、思わず手を出してしまう。
久しぶりにピアノを弾いて気分が高揚していたのかも知れない。声が出ない俺にとってピアノの音は唯一の『声』だったのだ。
俺が出した手をマジマジと見下ろし、神宮寺がニヤリと笑う。
「それなりの見返りを期待するけど、いいの?」
見返り?
何の事だか分からずに神宮寺を見上げる。
見つめる中、神宮寺は襟に掛けただけのネクタイを外し、それを俺の手首に巻き付ける。
ハッとして振りほどこうとするが手遅れだった。鮮やかとも言える手つきで俺の両手を封じると、神宮寺がそのまま身体を近づけて来る。
「忘れたの、お前は俺に差し出された生け贄も同然なんだよ?」
耳元でそう囁かれ、金縛りにでも遭ったかのように身体が硬直してしまう。
神宮寺の思惑に気付き、恐怖したのだ。
この男は真衣と結婚する代わりに俺を父から貰い受けたと言っていた。
神宮寺にとって俺は、そのコンプレックスを刺激するだけの存在なのだ。自分が欲しがってる物を易々と手に入れ、涼しい顔をしている。事実がどうであれ、神宮寺は俺の事をそう思っていただろう。そして立場が逆転した事も。
これまで自分が舐めて来た屈辱を俺に味あわせようと言うのだ、神宮寺は。
何の役にも立たない俺を貰い受けたのはその為だ。
怯える俺を見て、神宮寺が微かに苛立ちの表情を浮かべる。掘りの深い顔立ちの眉間に僅かに皺が寄っている。
その苛立ちをぶつけるように、俺を突き飛ばす。
両手の自由がきかないので無様に転がり、その痛みに顔を歪める。
今の俺は神宮寺の目にはさぞ滑稽に映っている事だろう。これまで俺は神宮寺に対して散々偉そうな事を言って来た。家など関係ない。そう言う度に神宮寺は「お前には分からないよ」と顔を背けていたが、今度は俺が顔を背ける番だった。
結局、関係ないと言いながら俺も家に縛られているのだから。
神宮寺に軽蔑の目で見られるのは耐えられない。歯を食いしばって横を向く。
神宮寺の手が伸びて来て、俺のベルトを外しシャツの裾を引っ張り出す。そこまで来て何をされようと言うのか漸く気付き、ギョッとする。
恐怖のままに縛られた手を振り回すと、ピアノの椅子を持ち上げネクタイをそこに渡す。そこそこに重量がある上に、無理に動かしたら顔面に落ちて来るだろう。それでも俺は抵抗を諦めきれず足をばたつかせる。
男同士でも行為に及ぶ事が出来るのは知っている。だが、何故だ。どうして神宮寺はこんな事をするんだ。
ボタンを全て外され、神宮寺の吐息が首筋を掠める。拒否する為に顔を思い切り背けると、首を痛いぐらいに噛まれてしまう。
ビクッと身体が跳ねる。
助けを求めようにも声は出ない。だいたいからして誰に助けを求めたらいいのかも分からない。
放心してしまい、身体が弛緩する。その隙をつくように神宮寺の手が俺の膝裏を撫でるので、目をギュッと閉じる。途端、目尻から涙が零れてしまう。
怖いのか悔しいのか自分でも分からない。混乱して自分の感情すらよく分からなくなっていたのだ。
横を向いたまま泣く俺の姿に罪悪感でも覚えたのか、神宮寺が音もなく起き上がり距離を開ける。それにホッとして目を開けると、神宮寺の横顔が何故か辛そうに見えて更に困惑する。親とはぐれた迷子のように唇を噛み締めている。
どうして貴様が辛そうな顔をするんだ。
そう問い掛けたいのに依然として俺の声は出ないままだ。身を捩り、何とかネクタイをほどいて起き上がる。その気配が伝わったのか、神宮寺が逃げ出そうとするので、咄嗟に肘を掴んで引き止める。
ポカンとした顔をする神宮寺に俺自身もポカンとしていた。
引き止めてどうしようと思った訳ではない。どちらかと言えば神宮寺がどこかに行ってくれた方が俺としては助かる。それなのに掴んでしまった。
ジッと俺を見つめていた神宮寺の目が不意にフワッと細くなる。どうやら苦笑しているらしい。困ったような呆れたような、そんな笑みだ。
それを見つめる内に先ほどの恐怖も怒りも忘れて神宮寺の肘を離し、力なく笑い出してしまう。

せみしぐれ1

 車を降りた途端、深い緑の気配に包まれ背中が震える。
 ロケであちこち行くけど、ここまで自然に囲まれた場所と言うのは始めてだよ。

 「おはようございます」

 こちらに気付いたスタッフに笑顔で挨拶をして、控え室の場所を訊ねる。貸別荘の二階だと言われ、そちらに向かう。
 撮影期間は二週間とちょっと。都心から車で二時間とは言え、通いで来るのは大変そうだ。他に仕事がない日は泊まり込みになるだろう。
 部屋に到着してみると、ツインルームらしくシングルベッドが二つ並んでいた。その脇に誰かの荷物を置かれている。どうやら相部屋らしい。

 「ふぅん」

 使われていないであろうベッドに自分の荷物を投げ出し、ヘアゴムを口に咥える。
 高原なので都心よりは涼しいが、だからと言って暑くない訳ではない。
 ジャケットを脱ぎ捨て、適当に髪を束ねる。
 すると、俄に外が騒がしくなり何事かと窓を開けて覗き見る。
 スタッフ数人に囲まれ、見覚えのある顔があった。

 聖川だ。

 いつ見ても凛々しいお顔立ちな事で。
 そう肩を竦めて、聖川の髪が濡れている事に気が付く。
 何をやってるんだか。
 頬杖をついて見下ろしていると、こちらの視線に気付いたのかヒョイと聖川が顔を上げる。そして俺を認めた途端、ほんの少し眉を寄せる。

 そんなに俺が嫌いかね。

 一言二言、スタッフとやり取りしてそのまま貸別荘の中に消えてしまう。きっと、この部屋に来るのだろう。
 何しろ相部屋だ。ベッドの脇に置かれているのは寮で見た事のある聖川愛用の旅行鞄だった。
 思った通り、程なくしてドアが開き聖川がムスッとした顔で入って来る。

 「思いのほか早かったな」

 昨日は深夜まで歌番組の収録があったのだから、俺の入りは午後の筈だった。
 無理を言って車を出して貰ったものの、今になって後悔している。メチャクチャ眠い。
 「寝ないで来たからね」
 聖川を見ないでそう答えると、「そうか」と気のない相槌が返って来る。

 可愛気のない。
 昔は金魚の糞よろしく、俺の後を付いて回ってた癖に。
 その手を振り払ったのは自分だと言うのに、聖川がそういう態度で接して来る度に面白くない気分になる。
 鞄から脚本を取り出してパラパラ捲っていると、不意に聖川がポツンと呟く。
 「余り無理はするな」

 心配してくれるの?
 無邪気に縋り付いて来たお前に、八つ当たりで辛く当たった俺に?

 「そっちこそ何でずぶ濡れ?」
 「スタッフと近所を散策していて滝に落ちただけだ」
 「は……滝?」
 「そう大きくはない。せいぜい三メートルといったところだ」
 「ドジだね」
 「足元が泥濘んでいたから滑った。風呂、先に使わせて貰うぞ」

 それに頷くと、着替えを持った聖川が風呂場に向かう。
 何となくそれを見送り、ギョッとする。

 「おい、聖川」
 「何だ」

 怪訝そうに聖川が振り返る。
 その肌に白いシャツが濡れて貼り付いている。だが、問題はそこに手形のような物が付いている事だった。
 落ちた時、どこかにぶつかって痣になったのか。或いはスタッフの誰かが救助の際に誤って叩いてしまったか。
 どちらにしても、これだけ痣になっていたら痛む筈だ。それなのに聖川は気付いていないのか、平然としている。
 起き上がって近づいてみて、自分の勘違いに気付く。

 手形と思ったのは、何かの葉っぱだったのだ。
 「何だ、驚いた」
 シャツをたくし上げて取り出してみると、小さな手のような楓の葉だった。
 「何をそんなに驚く必要がある?」
 不思議そうに首を傾げる聖川を、何でもないと風呂場に追いやる。
 一人になって、開いたままの窓から残った葉を外に放る。
 そうしてから、どうしてシャツの中に入り込んだのだろうと思う。

 聖川はシャツの裾をパンツに入れていたし、襟から入り込んだにしては、綺麗に葉は広がっていた。
 暫く考えてみるけど、答えが分かる筈もない。
 何かの拍子に入り込んで、歩いている内に葉が広がって聖川の背中に貼り付いたのだろう。
 そう結論を出して、ベッドに横たわり脚本を広げる。
[newpage]

 今回のロケは二時間枠のドラマの収録だ。
 財閥の令嬢が療養に来た土地で、貧乏な書生と恋に落ちる。そこに令嬢の許嫁がやって来て、二人の仲を引き裂こうとする。そんな中、土地の迷信に絡めた殺人事件が次々と起こり、最終的に令嬢は書生と一緒に駆け落ちするってストーリーだ。
 書生役が聖川で、憎まれ役の令嬢の婚約者が俺って訳だ。
 別に文句はない。許嫁は重要な役だし、何しろ今回のドラマはスポンサーに聖川の家が入っている。
 ただ、何だか聖川とセットとして扱われているらしいのが気に入らない。
 オーディションもなく役を貰い、部屋は相部屋。これで勘ぐらない方がどうかしている。

 脚本を投げ出してゴロリと寝返りを打つ。
 実家はお互いに大きな財閥なのだ。俺達の意思に関係なく育った環境も似ている。
 あいつは嫡男で、俺は違うって差はあるにはあるが、周りからしたら同じだろう。だから一緒にさせて置こうと思うのは分かる。分かるけど、俺達にだって事情と言う物があるんだ。
 似ているからいがみ合ってると思ってるだろうけど、実際はそうじゃない。
 俺が聖川を妬んでいるだけだ。小さな子供のように僻んで嫌っている。
 聖川の方は俺ほど気にしてはいないだろう。だから普通に受け答えをするし、俺がいるからと言ってその場から逃げ出す事もない。ただ、俺を見る度に困ったように眉を寄せるだけ。

 情けない。
 俺の方が年上だってのに、これじゃまるで聖川に甘えているようだ。

 そんな事を考えていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 気配に目を覚ますと、着替えた聖川がソファに腰掛け俺が投げ出した脚本を読んでいた。
 何となく起き上がろうとして、腹にタオルケットが掛けられている事に気付く。
 こんな事するのは一人しかいなくて、俺は更に居たたまれなくなってしまう。

 「風邪引くぞ」
 「だからって、お前ね。腹にだけ掛けるなよ、子供じゃないんだから」
 そう言うと、顔を上げた聖川がクスリと唇に笑みを浮かべる。

 「大きな子供だな」

 からかうような目で俺を見る。
 それに驚きの余り、呼吸すら忘れる。
 聖川がこんなに気安く接して来るのは珍しい。態度と言葉は生意気で可愛気なんて微塵もないけど、俺に笑顔を向けるのはかなり久しぶりなんじゃないか。
 本人もそう気付いたのか、すぐに笑みを引っ込めプイッとそっぽを向いてしまう。
 どっちが子供っぽいんだか。
 そう呆れるけど、頬が緩むのをどうしようもない。

せみしぐれ2

 横を向いてニヤニヤしていると、廊下からドアがノックされる。
 それに動いたのは聖川の方が早かった。

 「はい、分かりました」
 スタッフと言葉を交わして、ドアを閉めるとこちらを見る。
 「食事だそうだ、どうする」

 本当ならもう少し眠っていたい所だったけど、何事も第一印象が大事だ。
 仕方なく起き上がって乱れた髪を指で整える。
 俺より先に来ていた聖川は別荘内に詳しいらしく、「こっちだ」と言って歩き出す。
 その背中を追いながら、何となく話しかけてみる。

 「主役のレディとはもう会った?」
 「ああ、先ほど一緒になった」

 ふぅん。もう会ったんだ、相手役に。
 俺もそうだけど、女優だって所詮は聖川の引き立て役。だからなのかどうか、無名の新人。
 ここに来る途中、車の中でプロフィールは見たけど如何にも清純派って感じの美少女だったね。
 どんなレディとだって仲良くなりたいと思うけど、その子をどうこうしようとは思わない。
 だってそんな事したら聖川は俺を軽蔑するだろうし、ドラマ以外でも修羅場なんてゴメンだからね。
 ただ、何となくだけど俺より先に会ったと言うのが面白くない。
 「可愛かった?」

 意地悪したくてそう問い掛けるが、聖川は考える素振りさえ見せず「普通だろう」と言う。
 こいつは人の美醜に余りこだわらない。自分はそんなお綺麗な顔をしている癖に、いや、だからなのかな。
 相手がどんな美人でも気にしないし、その反対でも同じ。誰に対しても公平に優しい。

 「ただ、」

 それなのに歯切れ悪く言葉を飲み込むので、気になって「何?」と問い返す。

 「少し厄介な性格かも知れないな」
 そんな事を言うなんて珍しい。聖川は外見に惑わされない分だけ、相手の人柄を知るまでは批評めいた事を口にしない。
 まさか俺がいなかった半日で女優とそこまで親しくなったとも思えないし、何かあったのかな。

 「どうして?」
 「いや……何でもない」

 言ってしまった事を後悔するようにユルく頭を振る。
 これは絶対に何かあったな。何だろう、俺のいない間、近所を散歩してた時に何があったんだろう。
 モヤモヤと考え事をしながら歩いている内に食堂に到着する。
 俺たち以外は既に揃っていたらしく、全員の目がこちらを向く。それに軽く会釈して空いている席に着く。
 グルリと見渡してみると、他の仕事で何度か会った事のあるスタッフもいたりして、少しだけ肩の強張りが解ける気がした。
 そちらに改めて会釈して、ふと正面の暖炉に人形が飾られてるのが目に入る。
 日本人形なのだろうか、和服姿で足を投げ出して座っている。
 身に付けた赤い着物は所々汚れているから相当古い物なのだろうと分かる。
 その顔を見てギクッとする。

 やけにリアルなのだ。暖炉の上に座っているぐらいだし人形なのだから子供が抱けるぐらいの大きさなのだろうと思う。だが、それを無視すればまるで生きているように精巧な顔の造りだった。
 俺の視線を辿ったのか、向かいに座るスタッフが「ああ」と説明してくれる。
 「さっき、散策の途中で見つけたんですよ」
 見つけたって言われても、こんな物が道の上に落ちているものなの?
 「滝の傍に小屋みたいのがあって、そこにあったんです」
 「勝手に持って来ちゃったの?」

 それじゃ泥棒でしょ。
 俺の言葉にスタッフが慌てたように手を振る。
 「空き家みたいだったし、可愛いと言って聞かなかったので」
 そう言ってチラリと、離れた席にいる女優を見る。聖川と何やら喋っているらしく、こちらの視線には気付いていないようだ。
 「人形だって誰もいない家で汚れたまま放っとかれるより、ここにいた方がいいんじゃないですかね」
 自分勝手な理屈だね。
 でも、角を立てても仕方がない。
 新人とは言え、相手は主演女優だ。スタッフとしては、機嫌を損ねる訳には行かないんだろう。

 「滝って聖川が落ちた?」
 「ああ、それなんですがね……」
 話題が変わったのでホッとしたのか、スタッフが気持ち身を乗り出す。
 その話によると、はしゃいだ女優が足を滑らせ、それを聖川が咄嗟に庇って落ちたらしい。
 聖川らしいと言うか何と言うか。
 聞こえて来る女優と聖川の会話は「すみません」と「大丈夫だ」の繰り返しだ。
 いつまで続けるんだか。
 そう呆れていると、女優も気が付いたのか「ありがとうございました」と頭を下げる。

 「気にするな、お前が何ともなくて良かった」

 そう言ってニッコリと聖川がニッコリと微笑む。
全員がそのやり取りを見ていたらしく、うっとりとした沈黙が流れる。誰かの「王子様だ」と言う呟きが聞こえる程だ。
 でも、俺は苛立ってしまう。誰にでも優しいのは美徳だけど、それで相手が誤解しちゃったらどうするの。
 案の定、女優も顔を赤らめているし。どうするの、ほら。
 だけど、やっぱり聖川は聖川だ。
 何事もなかったかのように出された食事に手を付け、「うまいな」と給仕するスタッフに笑顔を見せている。可哀想に、女優は放置だ。
 分かってたけど、そういう奴だよ。お前は。

せみしぐれ4

 食事の後に軽く打ち合わせをして解散になった。
 する事もないので部屋で仮眠を取るか、脚本を読むか。

 そう思いながら階段を上っていると、背後から呼び止められる。
 振り返ると、清純派美少女と言ったレディがニコニコと立っていた。

 「先週の音楽番組見ました。サイン貰えませんか?」

 そんな事言われて断るほど忙しいって訳でもないし。まぁ、いいか。
 そう思って「いいよ」と答えたら手招きされる。何だろうかと付いて行くと、食堂の横の小部屋に通される。
 テーブルとソファがあって、部屋の隅には撮影用の機材が置かれている。
 元は談話室で、今は機材置き場って所かな。

 「どこにサイン書けばいい?」
 「あ……じゃ、ここに」

 そう言って出されたのはメモ用紙だ。色紙とは言わないけど、せめて手帳とかなかったのかね。これじゃ、サインなんてただの口実ですって言ってるようなものだよ。
 持っていたペンでサインを書いて返すと「ずっとファンだったんです」とニコニコしている。
 女優だけあって、演技は上手だね。
 でも、こっちだってそれなりに経験あるし、特に俺はレディの扱いには慣れてる。

 「そう、ありがと」

 ニコッと笑顔で返すと、ポーッと顔を赤くする。
 可笑しい。色仕掛けして来たのはそっちなのに、素が出ちゃってるよ。これも演技なら大した物だけどね。

 「食堂にあった人形、勝手に持って来ちゃったんだってね」

 そう水を向けると、「はい」といい声で返事をする。
 「汚れてて可哀想だったし」
 まるでいい事したって言ってるようだね。でも、持ち主に断りなくってどうなの。

 「ああ、着物とか痛んでたね」
 「だから新しいのと取り替えてあげようと思って」
 「だったら、自分の部屋に連れて行ってあげれば?」

 そうするのが普通でしょ。
 汚れていて可哀想、しかも気に入って持って来たなら尚更。

 「でも、やっぱりちょっと怖いし……」

 あれだけリアルな造りだから怖いって言うのも分かる気がする。
 でも、それなら持って来なければいいのに。

 「そう。じゃ、着物取り替えてあげたら元の場所に返すの?」
 「どうしようかなって思ってて」

 そう言って躊躇うように首を傾げる。
 どうしようって、どうするつもりなのかな。
 まさか家まで持って帰るつもりじゃないよね。それじゃ本当に泥棒だし、さっき怖いって言ってよね?

 「もしかしたら有名な人が作ったのかも知れないってマネージャーが言うんですよ」

 え、自分の物でもないのに売るつもりなの。それは非常識だと思うけど。
 ビックリして見つめ返すと、「神宮寺さんだったらどうしますか?」と聞かれる。

 「俺だったら最初から持って来ないかな」

 ただでさえ人形って気味が悪いし、あんなリアルな造りなんだから余計だ。百歩譲って汚れているのが可哀想って思ったとしても、少し拭いて終わりだな。

 「でも、すっごく高いかも知れないんですよ?」

 やれやれ。お里が知れるって、こういう事を言うんだろうね。
 笑っていれば誰か助けてくれる。だって自分は可愛いんだから。
 こういうレディは浅はかな所が可愛くもあり、愚かでもあるんだよね。
 眺める分にはいいんだけど、それ以上は俺だったらゴメンかな。



 適当にあしらって宛てがわれた部屋に戻ると、聖川がベッドで寝息を立てていた。
 俺は徹夜だったけど、他のキャストやスタッフは早朝に出発したらしいから、やっぱり眠いのかもね。
 遠慮する必要なんてないんだけど、邪魔したら間違いなく怒られるから食堂に引き返す。他に居場所ないしね。
 欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いていると、先の方から話し声が聞こえて来る。
 特に声を潜めている様子もないから、スタッフが休憩しているのだろう。
 食堂に到着してみると、予想した通り数人のスタッフがお菓子を摘みながらお喋りしていた。
 「お疲れさまです!」
 慌てて立ち上がろうとするから、苦笑しながら「そのままでいいよ」って言うと全員がホッとしたように息をつく。
 「俺も珈琲貰える?」
 言った途端、紙コップに注がれた珈琲が出て来る。ここのスタッフは優秀だ。
 ゆっくりと喉を潤していると、そわそわと落ち着きなく見つめられる。

 「邪魔しちゃった?」
 「いいえ!」

 そう言ってから取り繕うように「聖川さんは?」と訊ねられる。

 「はしゃいで疲れたのか、おねんねしてたよ。それより何の話してたの?」
 「あ……」

 気まずそうにスタッフ同士で目配せし合う。
 ここにいるのは衣装担当とスクリプターと照明助手、あとお嬢様の乳母役の女優といった四人のレディだ。どうやら前から互いに顔見知りだったらしく、気安い雰囲気が流れている。

 「神宮寺さんはどの道通って来たの?」
 「さぁ……よく覚えてないけど、それがどうかしたの?」

 乳母役の女優と言っても、まだ三十を少し過ぎたぐらいだ。でも、その顔は以前からテレビで何度も見た事がある。
 今回のドラマでは乳母が重要な役なので、ベテランを引っ張って来たんだろうね。

 「途中で二股に道が別れているんだけど、そこに祠が立ってたのよ」
 「そうだっけ?」

 思い出してみるけど、さっぱり思い出せない。
 そもそも俺は車の中で仮眠取ってたんだから、見てない可能性の方が高い訳で。

 「お地蔵様か何かだと思うんだけど、小さな赤い屋根の付いた祠があったの。でも、彼女が買い出しに行く時に見たらなかったそうなのよ」

 そう言ってチラリと隣に座る照明助手のレディに目配せする。

 「消耗品が少し足りなかったのでさっき行って来たんです。このお菓子もその時に買って来たんですけど、昨日来た時はあったお地蔵様がなくなってたからどうしたんだろうと思って」
 「昨日はあったの?」

 俺の質問に全員が頷く。
 こういう業界にいると、迷信だと分かっていても験を担ぎたくなるのはよく分かる。だから、見間違いや勘違いではないだろう。でも、昨日あったお地蔵様が今日になってなくなってるなんて、ちょっとおかしくないか?
 誰が何の為に撤去したんだろう。
 しかも、お地蔵様だけじゃなくて屋根ごと……?

 「昨日は私が最後だった筈だし、彼女が出掛けるまでに来たのは神宮寺さんだから、何か見てないかと思って」
 「違いますよ、昨日最後に来たのって……」

 スクリプターのレディが口を挟むが、躊躇うように口籠ってしまう。どうしたんだろう?

 「あの……」
 泣きそうな顔で必死に誤摩化そうとしている。その顔を見ている内に乳母役の女優が「ああ、」と納得したような声を上げる。
 「彼女が最後だったのね」
 その『彼女』の部分のイントネーションが独特だったので、誰の事なのか俺にも分かってしまう。

 さっき俺にサインをくれと言って来た清純派女優だ。

 「じゃ、レディに聞けば解決するんじゃないの?」
 俺がそう言うと、全員が不満そうな溜め息を零す。
 どうやらお地蔵様をどうにかしたのが、清純派女優だと思っているらしい。
 確かにさっきのやり取りを思い出すと、印象は最悪だ。
 何しろ高そうだからと言う理由で勝手にお人形を持ち出すぐらいだ、うっかりお地蔵様の祠を壊しても口を噤んで知らん顔ぐらいしそうな気はする。

せみしぐれ5

 それから何だか全員の口が重くなったので、俺が邪魔なんだろうって事で、部屋に引き上げた。
 レディは男の前で誰かの悪口を言わないからね。俺がいたんじゃ、盛り上がれないだろうなって気を利かせたわけ。

 そんな訳で部屋に戻ったんだけど、相変わらず聖川は眠り続けていた。

 どうしたもんかね。

 取りあえず起こさないようにそっと部屋を横切って窓を閉める。
 夏って言っても山の中だから、少し肌寒い。陽が暮れて来たら余計だろう。
 そうして置いて、鞄から携帯を取り出してみるけど、何と圏外だよ。アンテナ立たない所があるなんて凄いね。驚くより感心してしまう。
 使い物にならない携帯を鞄にしまって、自分のベッドに横たわる。

 充分に睡眠を取ったとは言い難いから、横になればすぐに眠れるだろう。
 そう思ったんだけど、慣れない環境に神経が昂っているのかなかなか眠気はやって来ない。

 目を閉じて、今日あった出来事を考えるともなく思い出す。
 土の匂いと緑の気配。ずぶ濡れになった聖川。その背中に貼り付いていた楓の葉。
 気味の悪い人形と、清純派女優の媚びるような笑顔。なくなったお地蔵様。ヒソヒソと話すレディたちの声。
 そんな事を思い出しているうちに眠ってしまったらしい。
 身体がフワフワとして、現実味がない。

 『一日に一人……全部で七人……』

 さざ波のように聞こえていたレディたちの声に混じって、聞き慣れない嗄れた声が聞こえる。

 『蝉の鳴く日に一人ずつ……それが欠けては……』

 嗄れてる上にボソボソと喋っているらしく、全部を聞き取る事は出来ない。
 何の話なんだろう?
 どうせ夢だし、深く考える事はないか。

 そう気を抜いた途端、耳元で嗄れたその声が囁いて来る。

 『代わりを探せ、必ずだ』

 ビクッと目が覚める。飛び起きて耳に手を当てるけど、何もない。
 やっぱり夢だったのか。それにしてもビックリした。

 何となく気持ち悪い夢だったな。そう思いながらシャワーでも浴びるかと着替えを用意する。
 チラリと目を向けると、隣のベッドでは聖川がスースー寝息を立てている。どうやら起こさずに済んだらしい。
 そうホッとするけど、こんなに眠る奴だっけ?と首を傾げる。

 時計を確認してみると、昼食を終えてから既に四時間近く経っていた。
 俺と違って、聖川は仕事でもない限り早寝早起きだ。それをジジ臭いと茶化した事があるぐらいだから、間違ってないだろう。
 そして、昨日は移動前日と言う事で聖川はオフだった筈なのだ。それなのにどうしてこんなに眠っているんだ。

 まさか濡れて風邪を引いたのか?
 それで具合が悪くなって眠り続けているとか……?

 主役がそれじゃ困るよな。俺だってスタッフだって、予定が詰まっているんだ。
 それに聖川は他人に迷惑を掛けて良しとする性格をしていない。どちらかと言えば、その反対だ。
 だから、自分の所為で撮影が押したりしたら、絶対に落ち込む。自分を責めるだろう。

 聖川の性格は、自分に厳しく俺に対してはもっと厳しい。
 放って置けば面倒な事になるのは目に見えている。

 だから、そっとベッドに近づき聖川の顔色を確認する。
 眠っているからか、紙のように真っ白な顔をしている。

 やっぱり具合悪いのかね?

 そう思って布団を直してやろうとして、聖川が襟元までキッチリとボタンを閉めている事に気付く。

 こんな時まで身だしなみですか。

 溜め息をつきながらボタンを二つほど開けてやる。
 白く浮かび上がる細い首筋。それを何の気なしに軽く撫でると、聖川の唇から吐息が漏れる。

 え。

 ガバッと、聖川の眠るベッドから離れる。

 何で、そんな声出すの……って言うか、どうして俺は聖川の首を撫でたりしたの。

 いやいや、別に他意はないからね。本当に天地神明に誓って、どうにかしようって思った訳じゃないから!
 ちょっと様子見ようとして、ついでにボタンを外してあげただけで……首に触ったのだって特に何か考えてた訳じゃないし!!
 下心なんて、本当にこれっぽっちも!
 ワタワタと慌てて言い訳を並べて、ふと我にかえる。

 寝てる聖川の他に誰もいない部屋でアタフタしている神宮司レン。ツッコミもフォローもいない。
 何やってんだろう、俺……。

せみしぐれ6

 冷たいシャワーを浴びてスッキリして戻ると、聖川の姿は既になくなっていた。
 水音に紛れてよく聞こえなかったけど、先に食事に行ったんだろう。

 髪にドライヤーを当てながら、ふと暖炉の上にあった人形を思い出す。
 日本人形だからか、髪型はオカッパだったな。でも顔立ちは今どきな造りだったから、髪型と相まって少し聖川に似ていたような気がする。それがどうしたって思うけど、何となく厭な気がする。
 髪を乾かし、身支度を整えてから食堂に向かう。

 昼間はスタッフも忙しかったのだろう。ディナーは全員揃っているらしく、人口密度が高い。
 俺を見てすぐさま席を立って挨拶して来たのは、昼間は見かけなかったプロデューサーだ。今日は泊まって、明日の朝に戻るらしい。あとは最終日に来るぐらいだろうね、きっと。
 適当に切り上げて、昼と同じ席につく。
 他のスタッフも同じらしく、少し離れた所に聖川と主演女優が仲良く並んでいるのが見える。
 見るともなく見ていたら、女優と目が合ったのでニコッとしてみるが、プイッと目を逸らされてしまう。昼間のやり取りで嫌われちゃったかな。
 そう肩を竦めていると、女優の手が聖川の肩に乗せられる。

 「聖川、席替わって」

 刺々しい声のままそう言うと、聖川がやれやれと言った様子で立ち上がる。俺の我が侭には慣れてるもんね、お前は。
 自分で言い出したんだから仕方ないんだけど、席を移動してからは針の筵状態だったよ。
 何しろ隣のレディは聖川にちょっかい出そうとしてた所を邪魔されておかんむりだったからね。

 「そう言えば、ここに来る途中にお地蔵様があるの知ってる?」

 会話がないと重苦しくて堪らなかったので、そう水を向けると「知ってますよ」と素っ気ない返事がある。

 「ああ。じゃ、やっぱり昨日まではあったんだね」
 「……何の事ですか」

 女優の声が低くなる。何だか聞きたくない事を言われたって感じ。

 「今日、スタッフの子が買い出しに行く途中に見たらなくなってたんだって」
 「私がどうにかしたって言うんですか」

こっちはただの世間話のつもりだからそんな事は言ってない。それなのにムキになるなんて、自分がやったと言ってるような物だね?

 「道が二つに別れてる所だそうだから……そうだね、たとえば道を間違えてバックしてる時に車で突っ込んじゃったとか?」

 適当にでっち上げて言ったら女優の顔色がサッと変わる。
 まさかのビンゴ。

 「でも、わざとじゃないんでしょう?」
 「そうなんです!アクセルとブレーキを間違えて……弁償するつもりだったんです!」

 その割りには俺が言うまで黙ってたよね。
 聖川は厄介な性格って言ってたけど、そんな可愛いものじゃないね。ちょっと根本的に問題あるんじゃないの、この子。

 「だったら、この山を管理してる会社に連絡しないと。プロデューサーに聞けば連絡先を教えてくれるんじゃないかな」

 そう言うと、「でも」とか「だって」ばかりを繰り返す。
 ああ、そうなんだ。最初から弁償するつもりなんかなったんだね。
 ここは別荘地だから普段から住んでる人なんていないし、お地蔵様なんてなくても誰も困らないのにって所かな。
俺や聖川は生まれた時から食べる物に困った事なんかない。それが一般的かどうかは兎も角として、やっぱりそういう生活をしていると、自分で意識しなくても品性と言う物が身に付いてしまうんだよね。俺が品性なんて言ったらおかしいかな?

 正しい事は正しいと言うし、悪い事は悪いと言う。困ってる人がいたら助けたいって思うよ。だって、俺には助けるだけの地位も財力もあるんだから。
 こういう感覚が世間一般でない事も分かってる。聖川は分からないだろうけど、俺はそれなりに遊んで来たからね。
だから、自分に対しても一線引いて見ちゃう癖が付いたんだと思う。
 相手が悪くてもそれをすぐに指摘しないよ。だって、そんな事したら角が立つでしょ。
 でも、言わないからって相手に同調している訳でもないんだよ。顔には出さないけど、こういう時ってかなりシラケちゃうかな。仕事だから割り切って接してるけど、プライベートではゴメンだよ。
 可愛いレディと言っても、面倒臭いものはやっぱり面倒臭いし。
それにこの程度なら他に幾らでもいるしね。




 ディナーのあと、お酒にも誘われたけど断って部屋に戻る。
 嗜む程度には飲めるんだけど、これでも未成年だからね、一応。

 「お疲れさまです」

 ニッコリと会釈して食堂を出ようとしたところで、ふと視線を感じて振り返る。
 プリデューサーとディレクター、あとカメラマンがテーブルに陣取っている。その周りを他のスタッフたちが甲斐甲斐しくお酌したりしていて、パワハラなんじゃないのって眉をひそめたくなる光景が広がっている。
 でも、こっちを見ているスタッフはいない。
 気の所為だったのかな。
 そう思って目を逸らそうとした途端、視界に人形が飛び込んで来る。

 やっぱり気の所為だ。

 人形の視線を感じるなんて疲れているのかも知れないな。
 肩を竦めて部屋に行くと、いつの間に戻ったのか聖川のがベッドで横になっていた。
 何だかんだ言って疲れてるんだろうね。
 そう思ってそっとしといてやろうとしたら、コロンと寝返りを打った聖川の目がジッと俺を見つめている。
 寝てるとばかり思ってたからビックリした。でも、それよりも何か言いたそうなその視線に驚く。

 「何?」

 見つめるばかりで口を開こうとしない聖川に焦れて俺の方から声を掛けてしまう。
 それでも暫く無言のまま見つめて来たが、やがて瞬きを一回すると「ふぅ」とばかりに息をつく。

 「昨日は寝ていないのだろう」

 咎めるような厳しい口調でそう言われて意味もなくムッとする。
 いや、理由ならあるかな。
 どうせ聖川の事だから体調管理も仕事のうちだとお説教する気に違いない。全く小姑みたいな奴だよ。

 「そう言うお前はどうなの。さっきからずっと寝てばっかりじゃん」

 幾ら早朝に出発したからってちょっと寝過ぎなんじゃないの。まさか、滝に落ちて本当に風邪でも引いたの?
 近づいて聖川の前髪を払う。白い額に手を乗せてみると、手の平にヒンヤリとした感触が伝わる。思ったより冷たい。どうやら熱はないらしい。
 だからと言って安心は出来ない。顔も紙みたいに真っ白だし、風邪じゃないとしても貧血か何か起こしてるのかも知れない。

 「気分が悪かったり頭痛かったりする?」

 俺の質問に聖川が力なく首を振る。
 弱みを見せまいとして強がっているのかも知れない。こいつは何故か俺に対してだけはムキになるからね。
 そう溜め息をついた途端、「少し寒いかも知れない」と小さな声で呟く。
 そりゃ、都心に比べればここは気温が低い。風が吹けば肌寒いぐらいだ。
 でも、今は窓も閉まっているし、涼しいと言っても季節で言えば夏なのだ。寒いと感じるのはやっぱり体調が優れないからなんじゃないの?

 「もっと毛布貰って来ようか?」

 そう言うと、聖川が皮肉気に唇を歪める。

 「お前に気を遣われるとはな」

 心配しているのにこの言われよう。本当、可愛くない。
 まぁ、そうさせてるのは俺なんだけどね。
 肩を竦めて離れようとする。だけど、聖川の手が俺のシャツを掴むので足を止める。

 「何?」
 「毛布はいらないから」

 分かってるよ。俺の親切なんてお前にとっては調子狂うだけで嬉しくも何ともないんでしょ。
 そう言って手を振り払ってしまいたいけど、何しろ具合が悪いらしいのでそうも出来ない。無言で突っ立っていると、聖川がそんな俺から目を逸らす。

 「一緒に寝たら暖かくなると思うのだが」

 消え入りそうな小さな声。そっぽを向いた横顔は薄らと赤く染まっている。
 恥ずかしいの?
 だったら言わなければいいのに。でも、言わずにはいられなかったって事なのかな。
 俺に甘えたくてしょうがないんだね。そんな事言われたら突っぱねるなんて出来る筈がない。
 仕方ないから家の事も何もかも、今は忘れてあげるよ。
 今だけは、俺の小さな真斗って事にして置いてあげる。

せみしぐれ7

 んん……。
 何だかホワホワとした明るい気分になる夢を見たような気がする。
 欠伸混じりに起き上がろうとして、何かにしがみ付いている事に気付く。

 何だろう。
 そう思って隣を見ると、こっちを向いて目を閉じている聖川の顔があってギョッとする。

 これは朝から心臓に悪いでしょ。
 起こさないようにそっと腕をほどいてから起き上がる。

 全く、黙ってれば顔だけは可愛いのに。
 昔はもっと女の子みたいだったな。
 ちっちゃくて丸くて、声だって高くて可愛かった。
 今より舌ッ足らずで、それが甘えているみたいに聞こえたんだよ、そう言えば。
 なのに今じゃ寝てる時しか可愛くないなんて。
 まぁ、そうさせたのは俺なんだけど理不尽な気持ちになっても仕方ないでしょ。

 ベッドから降りて着替えながら今日のスケジュールを確認する。
 ドラマの撮影は頭から順番にやるらしい。だから本当なら俺の出番は今日の午後からなんだけど、どうせオフだしスタッフと仲良くなっておきたかったから早めに入ったってワケ。

 シャワーを浴びて戻ると、いつの間に起きたのか聖川が私服に着替えてピシッと立っていた。
 いつも思うんだけど、姿勢いいよね。

 「具合どうなの?」

 手櫛で髪を整えながら聞くと「大丈夫だ」と素っ気ない返事が来る。
 それは良かったね、残念。
 へぇ、と。相槌を打ちながら鏡を覗き込む。

 「昨日は済まなかったな」
 「いいよ、貸しにしておくから」

 貸しなんて嘘。俺の方がお前に借りばっかり作ってる。
 でも、こう言わないと聖川は気にするんだから仕方ない。

 「ありがとう」

 え?
 今、お礼言われた……?
 ビックリして振り返るけど、時既に遅し。
 ドアの閉まる音がするだけで聖川の姿はなくなってた。




 午前中から撮影を始めて、何度か休憩と昼食を挟んでやっと終わったのは深夜に近い時間だった。
 思った通り、主演のレディは演技がイマイチだったけど、誰も気にしていないらしい。
 ま、アイドルが主演のドラマだから見栄えさえすればいいって事なんだろうけど。
 それに引き換え、聖川は見てるこっちが疲れるぐらい真剣そのもの。

 少し肩の力を抜けばいいのに。
 自分の出番が終わった後も見学してた俺の感想ね。

 軽く夜食でも貰おうかなって、人気のない食堂に降りてみるとスタッフの一人がコソコソと何やらしていた。
 音響アシスタントだっけ。一人だけガタイがいいからすぐに分かったよ。

 「何してるの?」

 声を掛けると、ビクッと大袈裟に飛び上がる。

 「神宮寺さん、驚かさないで下さいよ!」
 「驚いたのはこっち。こんな時間にこんな所で何してたの?」
 「頼まれて写真撮ってたんですよ」

 そう言って見せられたのは携帯の画面に写った人形だった。
 天井の明かりだけじゃ足りなかったのか、人形の傍に小さなランプが置いてある。それが下から照らしてるので、不気味な人形が更に不気味に写っている。

 「有名な作家が作ったかも知れないから調べたいって言うんスよ」
 その言葉に誰が頼んだのかピンと来る。

 主演のレディだ。

 可哀想だから連れて来たって言ってた割にそっちの方が気になるんだ?
 しかも、人に頼んでやって貰うって……へぇ、としか言いようがない。

 「あれ、何か写ってない?」

 髪をかきあげてそう指摘すると、スタッフも一緒になって覗き込む。
 足を投げ出して座る人形。その肩の辺りに不自然な光が写っている。

 「うわ、これってもしかして心霊写真スかね」

 どうだろう。
 人魂と言ってしまえばそれで通りそうではあるけれど、埃に光が反射しただけと言ってしまえばそれまでだ。

 「さあ?」

 どっちでも良かったから適当に答えてキッチンに向かう。
 軽く摘める物があればいいんだけど。
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