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紫の獣

9.紫狼


何だか分からないうちに足立が家に来る事になった。しかも、今。
別に気遣う必要もないから構わないと言えば構わないんだけど、ちょっと急だなとは思った。でも、足立は急いでいるらしい。

「明日じゃダメなのか?」
「早い方がいいでしょう」

そう言われたら俺に拒否はできない。
マンションに帰り、前と同じようにリビングに通す。

「メシは何か出前でも取るか。風呂はどうする」
「入って下さい」

いや、俺じゃなくてお前だよ。
花壇掘り返したって言ってたじゃん。風呂入ってサッパリしたいって思うのが人情ってもんだろ。

「その間に準備して置きます。紙とペンを貸して下さい」

言われた通り、ルーズリーフとボールペンを渡す。それを受け取った足立が「どうぞ、ごゆっくり」と言うので仕方なく風呂場に向かう。

頭を洗って身体を洗う。手のひらが赤茶色に汚れているのはバールの錆か。
それをゴシゴシと洗い流して、部屋着にしているジャージに着替える。
リビングに戻ると、足立がキッチンから顔を出す。

「塩をお借りしますね」

何か作るのか?
そう思って見守っていると、何やら書いてあるルーズリーフを部屋の隅に置いて、その上に塩を盛る。
そして俺を見て、「そこに座ってて下さい」とソファを指差す。
腹減ったんだけどなぁ……でも、何となく言い出せない空気だし。
何だかよく分からないまま、指示された通りに座る。

「からだを楽にして目を閉じて……深く息を吸って下さい」

俺の目元を手で覆ってそう言う。言われた通り深呼吸をすると、スコンと穴に落ちたような感覚がして驚く。

「大丈夫、そのままゆっくりと呼吸して……そう、シロウちゃんはいい子ね」

あ……それ、夢の中で祖母さんが言ってたのと同じだ。
途端、水の上に浮かんだようにフンワリと心の底からリラックスしてしまう。
何も心配なことなんかない。怖いものもない。
だから、何が来ても大丈夫。
手足から力を抜いてクタッとするが、耳障りな足音が聞こえてギクッとする。

ヒタ、ヒタ……と。

こちらを窺うようにゆっくりと近づいて来る足音。同時に鼻先を異臭が掠める。

「来た」

短くそう言うと、足立が俺の目元を覆っていた手を降ろす。その所為なのかどうか、つい目を開けてしまう。
そして、すぐさま後悔する。

うぎゃぁー!

怖いなんてものじゃない。存在そのものが禍々しい。
やって来たのは巫女さんの格好をした動物だった。白い小袖に緋袴、その下に覗くのはどう見ても毛むくじゃらな動物の足。
頭にはピンと尖った耳があり、目は釣り上がり、口は耳もとまで大きく裂けている。匂いの元はその口から吐き出される息の所為だ。

「祓いたまえ、清めたまえ……」

抑揚のない酷く淡々として口調でそう呟く。最後の方は何を言っているのか聞き取れない。
でも、足立の声が聞こえたのか巫女の服を来た動物がビクッと足を止める。
俺は別に何も感じないけど、動物にとってはイヤな物らしい。
何度か同じ言葉を繰り返して、傍にあるコップに指をつけて、それで床をグルッとなぞる。
何してんだか全く分からないけど、それを聞ける雰囲気ではない。

「さて、結界を閉じました。僕を倒さない限り、ここから出ることは叶いません」

結界……それって、敵から身を守るためのものじゃないのか?
敵を中に入れて閉じたら……どうなるんだ?

「比与森ツルがシロウを憑けた事に注目していたらもっと早く解決できたんですけどね……まさか、答えがこんなに簡単だとは思いませんでした」

言うと同時に濡れた指で俺の右の目蓋を押さえる。

「来い、シロウ」

その声に答えるように俺のからだからグァッと何かが抜けて、足立の横に大きな黒犬が立つ。
出て来た途端、シロウはけたたましいとしか言いようのない勢いで動物に向かって吠え立てる。
近所迷惑……そうは思うけど、そんなこと言ってられる状況じゃない。

今にも噛み付かんばかりに吠えるシロウと、その声に立ちすくむ動物。それを見つめる足立の目は強かだ。

「我に向かうものはことごとく敗れ無辺のかたに退く」

またもや淡々とそう呟きながら動物に一歩近づく。それに押されたように袴を履いた動物の足が一歩後ろに下がる。
だが、それ以上は行けないらしい。結界の所為なのか。

「どうしますか?」

突然としか言いようのないタイミングで足立がこっちを見る。
そんなこと聞かれても何が何やらサッパリなんだけど……。

「相手は狐です。このままシロウが食い殺してしまえば消えますよ」

うぇえ……実体がないとは言え、自分ちで動物が食い殺されるのはちょっと。
血とか出たら、色々と立ち直れない気がする。

「他の方法で……」

消え入りそうな声でそう頼むと、最初から俺の答えなんか分かってたとでも言うように足立がニッコリする。

「分かりました。目を閉じて、何も考えないようにして下さい」

それは難しい。でも、そう言われたからには何とかしないといけないだろ。
目を閉じて、心を無にするものを想像する。

何だ……何がある。
考えるなって言われたけど、そう簡単に考えなくなるのは不可能な訳で。仕方ないので、感情を交えずにこれまで見たものを心の中で思い浮かべる。
木造でボロボロな旧校舎。そこで見た足立。
背が小さくて髪はサラサラ、その上、小綺麗な顔してる癖に物凄く生意気な奴。
呆れた顔、バカにした顔、疲れた顔。でも、他にも見たような気がする。
何だろう……俺を見た時、ほんの一瞬だけ……そう、嬉しそうな顔をする。

嬉しそうって何で?

「終わりました」

その言葉にビクッと目を開くと、動物もシロウも消えていた。
足立は部屋の四隅に置いた塩を零さないように持ち上げている。

「何があったんだ」

そのままキッチンに向かう足立を追いかけ、いても立ってもいられずに問い掛ける。
塩をシンクに流し終えてから俺を見る。

「供養をしようとしたんですが、嫌がられまして。仕方ないので先輩に憑けておきました」

………は?

あれ、おかしいな。
俺の右目に憑いてる犬を祓ってくれるって約束だったのに……まぁ、それはいい。狐だか何だかが俺を呪ってたからシロウを祓う事ができないって言われてたから。だからって、どうして一匹増えてるんだよ!
しかも自分を殺そうとしてた奴とか……本気で意味が分からないんですけどー!!

「いいじゃないですか、狐。賭け事とかではラッキーアイテムですよ」

十八才未満は競馬も競艇もパチンコも禁止なんだよ!
俺は至って小心者なんだから、ギャンプラーになる気なんかこれっぽっちもないんだってば。

片付けを終えて、ピザを注文する。
届いたそれを食べながら足立を見ると、少し困ったように肩を竦める。

「分かりました。説明しますよ」

そう言ってピザを口に押し込むと、ティッシュで手を拭う。

「比与森ツルが行っていたのは丑の刻参りだったのでしょう。一般的には、呪う相手に見立てた藁人形に五寸釘を打つ儀式という事になってます。本来は願掛けの一つだったのですが、いつの間にか相手を殺すための呪術として有名になりました」

もともとは、ただの願掛けだったのか。それは知らなかった。
感心する俺に構う事なく足立が説明を続ける。

「僕個人の意見ですが、これはただの語呂合わせだと思うんです。陰陽道では北東を鬼門と言います。北東は丑寅の方角です。だから鬼は牛の角と虎皮のパンツを履いているんですが、それを更にもじっただけでしょう」

え、それは何て言うか……ちょっとガッカリだな。
だって、漫画とかで陰陽師ってヒーローじゃん。訳分からない呪文とかカッコいいじゃん。
それなのに語呂合わせって……ただのダジャレだったのかよってツッコミたくなるのは俺だけじゃない筈だ。

「呪術なんてそんな物です。でも、言葉は人の精神に影響します。だから丑の刻参りは効くんですよ」

そういう物なのか……?
でも、オヤジギャグで呪い殺されましたって事になったら、確かに死んでも死に切れないよなぁ。

「そして比与森ツルの家は代々拝み屋と営んでいました。色々なものが発達していなかった昔、拝み屋は教師であり医師であり、未来を予言する占い師でもあったんです。そんな特殊な家系ですから、憑き物の一つや二つぐらいあったでしょう。今回の狐もそんな憑き物の一つです」
「あんな物騒なのを代々飼っていたのか?」
「本来は物騒じゃないんですよ。むしろラッキーアイテムです。決められた供物を捧げれば、家に富を運んで来ます。でも、比与森ツルは邪法を使ったんです」

邪法って。ああ、人を呪い殺した事か。

「邪法を行えば、憑き物は祟りとなって、その血を追い続けます。だから、邪法を行った拝み屋は子を成す事はしません。でも、それを行った当時、す既に比与森ツルは子供がいた。そこで考えたのが自分の身代わりです」

封印されていたひな人形。それを箱から出した時、呪いは発動したって事か。

「拝み屋の血は母から娘へと受け継がれます。比与森ツルには二人の子供がいましたが、片方は男の子だったので養子に出す事で縁を切る事ができた、しかし、娘の方はそれでは足りない。大急ぎで身代わりを準備をしたけども、間に合わず先輩のお母さんは死んでしまった。比与森ツルは慌てたでしょう、娘の夫とその子供を自宅に呼び寄せて自らの手で守ろうとした。だけど、娘の血を引いた孫は既に狐に呪われていたんです。そこで比与森ツルはどうしたか、養子に出した息子の家族を呼び寄せたんです」

大黒柱を失って路頭に迷うしかない母と子。
住む場所を与え、生活を世話する。そう言われたら、誰だってその申し出を受け入れるだろう。

「身代わりとしてひな人形を選んだのは、どちらの孫も男の子だったから。納戸の奥に仕舞い込んでも、男の子なら見つけても飾る事はないだろうと思ったんでしょう。仕掛けを施し、安心したところで比与森ツルの寿命は尽きてしまいます。その後、引っ越しに手間取っていた息子の家族がやって来ました。手違いが起きる時は重なるもので、男の子だと聞いていた子供は男女の双子だったんです」

二つ年下のいとこ。兄と妹だと聞かされたから余り考えなかったが、二人は同い年だったのか。

そして、桃の節句。女の子の祭だ。
父親のいない家庭でそれを祝う事は難しかったに違いない。だから、姑の死後、自宅の納戸でひな人形を見つけた時は嬉しかったに違いない。そこに悪意はなく、ただ娘のためを思った母親の心だけだったのだろう。
だが、箱を開いた事で封印は解けてしまった。
解き放たれた呪いは、比与森ツルの血を引く小さな女の子に向かったのだ。

全ては偶然だったのだ。

「孫娘が死んだあと、次に狙われるのは比与森ツルの娘の子供である先輩です。だから、孫のために比与森ツルはあの座敷にあらわれ、シロウを託したんです」
「なぁ……そもそも、そのシロウって何だったんだ?」
「雑種の子犬です。僕が見つけた時には既に死んでいましたが、それに少しばかり手を加えて今の状態にしたんです」

まぁ、俺の中にいるシロウが普通の犬の訳ないから納得できるようなモヤモヤしたままのような……。

「シロウがいるから狐は先輩に手出しできません。でも、これからは毎日、狐の好物を供えて下さい」
「好物って?」
「基本的に雑食ですから何でもいいんじゃないですか」

ここに来て何ていい加減な事を言うんだ。
でも、まぁ……そう言うならここはオーソドックスに油揚げでも供えてみるか。

「あ、だったらシロウにも何かやった方がいいのか?」

狐だけじゃ不公平だろ。むしろシロウの方にこそお礼の意味も込めて何かあげるべきじゃないのか?
俺としては当然の事を言ったんだが、何故か足立は驚いたように目を丸くしてる。

あれ、変な事言ったか……?

キョトンとする俺を見て、うんざりしたように溜め息をつく。

「前にも言いましたけど、シロウは先輩と同化してるんですよ。好物を与えるってことは先輩がそれを受け取るって事なんですが、大丈夫なんですか?」

え……っと、シロウに肉あげるなら俺がそれを食べなきゃいけないって事なのか?
まぁ、それならそれでいいんじゃないか……?
流石にドッグフードは食べたくないが、犬の好物と言えばやっぱ肉だろ。だったら、たまに焼肉でも行けばいいだろ。
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