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紫の獣

そういう事じゃないらしい。足立が困ったように眉を寄せている。

「先輩が大丈夫なら、僕は構いませんが」

そう言って俺の右目蓋に指を添える。途端、ガクンとからだが傾いてシロウに乗っ取られる。

「おいで、シロウ」

甘やかすような目で俺と同化しているシロウを見つめる。それにシロウが飛びかかり、思う存分甘えに掛かる。
ああ、そうか。シロウは子犬だったんだよな。だったら、飼い主に甘えたいだろうさ。

ただ、何て言うか……絵面的にちょっと厳しい。

小柄な足立を俺が押し倒したような形になってるんだよ、今。
からだは俺のだし、俺自身の意識もしっかりある。でも、感覚はシロウのものと同化してる感じなんだろうなぁ。足立からものすごくいい匂いがするんだよ、困った事に。
首もとに顔を埋めると、脳内いっぱいに幸せ物質が出る、そんな匂いだ。これは癖になる。

シロウもそうらしく、足立の匂いをスンスン嗅いでいる。傍から見たら変態以外の何者でもないけど、まぁ誰もいないから別にいいか。
甘えるようにシロウが頭をグリグリと足立の肩に押し付ける。
重たい筈だが、足立はそれを止めようとはしない。だから、調子に乗ったのか。シロウが足立の背中に俺の腕を回してぎゅっと抱き締める。

うわ、ほっそ……。

太ってると思った事はないけど、ここまで細いとは思わなかった。ガリガリってのとはちょっと違う。これは、えっと……華奢って奴だな。
そんな事を考えてたら、更に調子に乗ったのか、シロウが足立の胸に顔を押し付けやがる。

やめてー。

幾ら細くて綺麗だとしても、俺は男の胸に顔を埋めたいなんて思った事ないんだよ。どうせなら柔らかくて豊満な胸がいい……。

そう思うのに、シャツの上から何かを探すように顔を動かしてペロッと舐める。それに足立の肩がビクッと跳ねるのが分かる。もう本当に勘弁して下さい。

「シロ……ちょっと、やめ」

足立が切れ切れに制止して来るけど、甘えていいと思い込んだシロウは止まらない。
子犬がお乳を飲むように足立のシャツ越しに胸を吸い上げる。

きゃー、破廉恥!

訳の分からない悲鳴を頭の中で上げまくると、流石に耐えられなかったのか、足立が乱暴に俺を押しやる。
不満そうに唸り声を上げるシロウ。でも、その声は俺の口から漏れている。

何なの、これ。意識が同調しているのか?
面倒臭い。メチャクチャ面倒じゃん、これ。

いっその事、俺の意識がなくなればいいのに……そう思っていたら足立のシャツの胸の辺りが俺の涎で濡れているのが見えて気を失いそうになる。

ご、ごめん……俺じゃなくてシロウなんだけど、そのシロウの飼い主はお前なんだけど、何だか本当にごめんなさい。

お互いにシロウだと理解しているけど、客観的に見れば、足立は俺に胸を吸われたって事だから……あ、何だか色々と消耗して来た。
シロウに乗っ取られてるような状態だけど、何とか意思の力で足立から離れる。当然、俺の中にいるシロウは不満そうだが、気にしてられる余裕なんかある筈もない。

うぐぐ……と歯を食いしばっていると、それを見兼ねたのか足立が手を伸ばして来る。

「おいで、シロウ」

何故に呼ぶ。
飼い主に呼ばれたシロウは当然ながら大喜びで足立に抱きつく。尻尾があったら千切れんばかりに振っていただろう。
こうなったら俺が抵抗できる筈もない。諦めてシロウの好きにさせる。
乳首を吸った事で怒られたと理解したのかどうか、今度は足立の顔を舐め回している。これって餌くれって意思表示だよな、確か。
すぐ傍にピザがあるけど、犬であるシロウにそれを食べさせていいのかどうか……あれ、でも俺のからだなんだからいいんじゃないの?
そんな事をグルグル考えてる間にシロウの舌が足立の唇を舐める。まぁ、乳首よりはマシか。
そう思って好きにさせていたら薄く開いたそこに舌を入れやがった。

お前、犬だからって好き勝手し過ぎだろ。

そう思ったのは一瞬で、足立の唾液を舐めた途端、どうでもよくなった。
だって、甘い。

砂糖のような甘さじゃなくて、たとえるなら花の蜜みたいにほのかな甘さか。
微かに感じる甘みは正直言ってかなり美味い。微かだからこそ、もっと感じたい。それは本能だろう。
だから、自分の意思で舌でまさぐり、それを啜り上げる。

最初は足立もたじろいだように硬直していたが、やがておそるおそる舌を伸ばして絡めて来る。
その柔らかな感覚に脳が痺れる。
濡れた音と立てて舌を絡め、唾液を啜り上げる。

シロウなのか俺なのか、境目は曖昧だ。それでも構わない。そんな事でこれを止めるのは不可能だった。

「んんっ!」

くぐもった足立の声。それすらも甘くて全て飲み干したくなる。

でも、それを許してくれる奴じゃない。
バシバシと両手で俺の背中を叩いて来る。しかも、グーで。
その痛みに目を開けると、至近距離に足立の顔。しかも、その潤んだ目に俺が写っているのが見える。

え……っと。

足立を押さえていた手を持ち上げて指を曲げてみる。
にぎにぎ。うん、俺の意思で動く。
そんな俺を足立が泣きそうな顔で見上げて来る。

泣かしたのは俺か………ごめんなさいぃー!
でもシロウが、いつの間にか俺に何で。いつから!
脳内でアワアワするが、足立にそれが分かる筈もない。
雑な手つきで俺を押しのけ起き上がる。

「帰ります」

乱れた髪を手で整えながら俺を見ずにそう言う。それを呼び止められる筈もなく、「お……おう」と答える。
その場にガックリと項垂れて、深く反省する。
力で押さえつけて無理矢理キスとか……あり得ない。何であんな事したんだ。
そう言えば謝ってないじゃないか。脳内では、禿げるほど床に頭を擦り付けて土下座してたけど、足立にちゃんと謝ってない。マズい。
明日、学校で謝ってついでに何かそれらしい言い訳をしないと。


そんな訳で早朝から登校してみる。
どうやら教頭が発見されたらしく、学校の中も外も騒がしい。旧校舎で白骨と一緒に教頭が死んでいたんだから、ちょっとしたミステリーになってる事だろう。でも、きっと解決は不可能だ。教頭が花子さんを殺したところまでは辿り着けるかも知れないが、それ以上は無理だ。
ま、花子さんの身元が特定されて無事、家族のもとに帰れるなら俺はそれでいい。

そんな事を考えながら一年の教室へと急ぐ。予定としては、足立がいたら呼び出して昨日のお礼と謝罪をするつもりだ。
本当はお礼を言うのも釈然としないのだけど、取りあえず呪い殺されるしかない状況から助けてくれたのは足立だし。たとえ、狐を俺に憑けたんだとしても……うん、今すぐ死ぬよりはマシだな。
謝罪は、調子に乗ってやり過ぎた事についてだ。

途中までは確かにシロウだったと思う。だけど、一晩経ってみると、シロウの所為だけにするのは間違ってるような気がして来たのだ。足立からいい匂いがしたのは事実だし、その唾液が甘かったのもやっぱり事実だ。最中に嫌悪感なんてまるでなかった。

俺がしたくてやった事……そう考えても何らおかしくないんだよなぁ。

だから謝罪の内容は足立の意思を確認しなかった事についてのみだ。行為そのものについて謝る気は全くもってない。
そもそも、足立にキスした事をまるで後悔してないんだよ、俺は。

男だろうが女だろうが、やりたかったらやればいい。そして、俺はあの時、確かに足立にキスしたかった。それだけ足立に好意を抱いているという証拠だ。だから、疾しい事など一切ない。

まぁ、いきなりベロチュウはちょっとやり過ぎたかなとは思うからそこだけは謝ろうと思う。
一年の教室は思った通り、人の姿も疎らだった。ザッと見回して足立がいない事を確認する。

いい加減、携帯聞いて置くべきだったな。
そう肩を竦めると、顔なじみになるつつあるウサギっぽい一年生が「足立ですか?」と聞いて来る。それに頷き返す。

「おい、足立!」

その声にこちらを振り返ったのは、似ても似つかない別人だ。
いかにもイジメて下さいと言った様子のオドオドとした男子が怯えた目で俺を見る。

「お前が足立……?」

幾ら俺が怖そうだからって、そんな泣きそうな顔しなくても。
ああ、これは本当にイジメラレてるんだな。だから、ずっと欠席してたのか。

「風紀の林だ。何かあったら遠慮なく言ってくれ」

それだけ言って来た廊下を引き返す。
黙々と歩きながら、一年の足立はこの学校に一人しかいないと言う事を思い出す。これは風紀にある生徒名簿で確認したから間違いはない。

じゃ、俺が昨日まで一緒にいた足立は誰だ……?

そこまで考えて、更に思い出す。
そう言えば、俺が足立と会ったのは昼休みや放課後、それも教室以外で周りに生徒が少ない時ばかりだ。つまり、どういう事だ?

……そうか。
あいつが偽名を使ったところで、それを知る人物が傍にいなかったのだ。
いや、偽名どころの話ではない。もしかしたら、この学校の生徒でもなかったんじゃないか?
入学式が済んでまだ間がないのだ。制服さえ着ていれば、廊下を歩いているぐらいでは部外者だとバレない可能性は高い。何て事だ。

俺はずっと騙されていたらしい。
やたらと幽霊に詳しくて、俺に犬だけじゃなく狐まで憑けた……あれは一体誰なんだ。
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