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紫の獣

ションボリと肩を落とす俺を見て、正午が困ったように言葉を続ける。

「優し過ぎるんです」

はい?
それって、俺の努力は無駄じゃなかったって事だよな。でも、普通は優しいって褒め言葉じゃないの?
キョトンとするも、徐々に顔が熱くなって来る。

叩き落としたあとに持ち上げるって、どんな小悪魔なの、お前は。可愛過ぎるだろ!
他人に振り回されるのってこんなに楽しいのか。いや、きっと誰でもいい訳じゃない。正午に振り回されるのがイイのか。
ニマけそうになるのをグッと眉間に力を入れて何とか堪える。

「困っている人には考えるよりも先に手を差し出す、司郎のそういう優しさは美徳だと思います。でも状況と相手によっては危険だとも思ってます」
「何で?」
「情けを掛ければ、しがみ付かれます。だから拝み屋は自衛のために幽霊を見ません。見たとしても無視します。それなのに花子さんにお守りを渡して……いらぬ面倒を背負い込むタイプですよね、司郎は」

その事で散々バカにされたな、そう言えば。
あの時は幽霊に交通安全のお守り渡したのがナンセンスだったのかと思ったけど、こうして話を聞いてみると、そもそも他人にホイホイ手を貸すのがマズかったらしい。
でも、そんな事言われても俺だって自分に余裕がなかったら見捨てると思うし。

「納得行かないって顔してますね、」

溜め息混じりにそう呟かれて、そんなに顔に出ていたかと少し反省する。

「幽霊が見えると言うのは、司郎がそれだけ彼らにとって救いとなるからです。言い換えれば、司郎は彼らの救いを求める声に敏感なんですよ」
「でも、それを言うならお前だって」
「僕は意識しなければ殆ど見えません。佐倉小花も花子さんも、先に司郎が見つけて僕に教えてくれたんですよ」

そうだったか?
教えたつもりはなかったけど、俺の怯えようを見れば幽霊がいるって分かったのかもな。
つまり、俺のビビリようがレーダーの代わりになってたのか。

最初からそう言われてたけど、改めて言われると何だか情けない。
だって、見つけるだけで何も出来なかった。佐倉小花も花子さんも、正午がいなかったら俺はあのまま気絶していたかも知れないんだ。

「だから、紫狼を右目に憑かせたんです」
「へ……?」

正午の言葉にキョトンとする。
いやいや、返って来る呪いから守るために祖母さんが俺にシロウを取り憑かせたって言ったじゃん。どういう事だ?

「犬……使鬼である紫狼は術師の命令に逆らえませんから、守護するだけなら別に司郎に取り憑く必要はないんですよ。カラオケボックスで見るふりをして、司郎の右目に取り憑くように僕が更に式を打ったと言う訳です」

目が痛くなった時か!
何て事してくれたんだ、メチャクチャ痛かっただぞ!!

「そのおかげで司郎の見るという力を取り入れて狐を追い払う事が出来た訳です」

淡々と話すけど、俺にとっては大問題だって。
右目だけ視力が落ちたのも犬に食われたからなの?
これ以上、悪くなったら眼鏡作らなきゃいけないんだけど!

「視力は関係ありません。僕と会う前から悪かったんじゃないですか」
「あ、そう言えば」
「元々、司郎は余り右目を使ってなかったようですから、眼球を支える筋肉が衰えて視力が落ちたんでしょう」

そっか、だったら今日これから右目で見る練習をするか。

「他に聞きたい事はありますか」

あらたまってそう聞かれると、何かあったようなもう何もないような。
いや、そう言えば重要な事をまだ聞いてなかった。

「狐って、俺が死んだらどうなるんだ?」

一番の不安の種と言ってもいい。
余り実感はないけど、狐が取り憑かれてる俺が死んだら一緒に消えるのか?
でも、狐は生きている訳じゃないんだから俺が死んだぐらいじゃ消えないような気もするんだよな。

「それに対する答えは『いいえ』です」

やっぱりそうなのか。
じゃ、俺が死んだら狐はどうなるんだ。

「呪いは比与森の血を追い続けます。だから、司郎が死んだら次は僕に来るでしょうね」

無表情にサラッと言ってのけたけど、当事者だろ。どうして事務的に話せるのか、その神経が分からない。
でも、まぁ……コイツの事だから狐ぐらい何て事ないのかも知れないな。

「それってどういう順番なんだ?」
「詳しい説明は面倒だから省きますが、この場合、血の濃さと性別が大きく関わって来ます。比与森ツルの子供は二人とも死んでいますが、娘である千鶴子が最初に死んでいます」

それで行くと、比与森の女って事か。
だから、俺じゃなくていとこの女の子が先に死んだって事らしい。

「女がいたら女を、その女に子供がいたらその子供を。そういう順番らしいです」

血を絶やすにはそれが確実なんだろう。子は女の胎から生まれて来るんだから当然だ。

「でも、僕に来る事はないと思いますよ」
「どうして」
「司郎が連れてってしまうからです」
「俺が?」

そんな事できるのか?
だったら、まぁ……少しは安心って言える。
コイツの事だから狐に呪われたところで平気だろうとは思うけど、呪われないならそれに越した事はないしな。

「本当は狐を消す方法があるんです」
「は?」

ちょっと待て。
えっと、それってつまり……俺に狐を憑ける必要なんてないって事じゃないのか?

「司郎がそれを望むなら従いますけど」
「当たり前だろ。消せよ、今すぐ」
「ただ、それをすると狐は成仏できません」

食い気味に言う俺に正午がピシャリと言葉を被せて来る。

「その場合は滅却です。存在そのもの、魂さえ消えてなくなります」

魂って。
俺はそういうのを積極的に信じている訳じゃないけど、それでもそう言われたらこれ以上消してくれとは言えなくなる。

だって何だか横暴だ。

誰かを呪うための道具にしておいて、それが済んだから消えてしまえだなんて横暴だし傲慢だ。そんなのただの使い捨てじゃないか。
俺がそう思うのを分かっていたらしく、正午が困ったように苦笑する。

「だから司郎に憑けたんです。司郎の性格からして、きっと憐れみ情けを掛けるでしょう。それを近くで感じる事によって狐の中にある恨みや憎しみが少しでも薄らげば……もしかしたら成仏するかも知れません」

俺の事を散々優しいって言うけど、お前だって充分優しいじゃないか。

「だったら俺は簡単に死ねないな」
「死なせませんよ」

ポツリとそう言って顔を横に向ける。
主語が抜けていたけど、その態度を見れば誰が俺を死なせないと言ったのか想像はつく。
ニマニマしながら、正午の横顔を見つめ思い出す。


そう言えば、まだ謝ってなかった。
でも、何と言って謝ればいいのか分からない。
取りあえず、先にお礼かな……いや、コイツの所為で巻き込まれたような物だし、でも、コイツがいなかったら俺は狐に殺されてたんだろうから、やっぱりお礼を言うのが筋だろう。

「教えてくれて助かったよ、ありがとう」
「どう致しまして。もう帰りますか?」

素っ気ない。
曲がりなりにもいとこだと言うのに、冷たいほどに素っ気ない。でも、これはただのツンデレだ。そうでなかったら俺が凹む。

「まだ……この前の謝罪をしていない」

そう口を開くと、心当たりがないのか正午が怪訝そうに首を傾げる。
まさか忘れたとでも言うのか?
十代男子にとって大事件の筈だろ。

「何の事ですか」
「……本人に面と向かって言うのはちょっと恥ずかしいんだが」

床に押さえ込んでキスした事です、と言うのは俺にとって羞恥プレイに近い。でも、言うまで思い出しそうにないな、コイツ。

「犬の褒美に紛れてキスしただろ、それを謝ろうと思って」
「ああ。気にしてませんから」

嘘付け。メチャクチャ動揺してたじゃないか、お前。

「司郎が犬と同調しているのは分かってますから」
「それなんだが……」

俺の中に犬がいるのは分かる。そうでなかったら狐が釘を打ちに来た時、犬がどこから出て来たのか分からないしな。それに、あれから何度か呼びかけてみたんだが、その都度キチンと反応があった。人懐こい犬なんだろう。
でも、からだを乗っ取られる事はない。それは、俺に危険が迫っている訳ではないからという理由でもないと思う。だって、狐の時、犬は実体をもってあらわれたんだから。

そこで考えてみたんだが、どうやら正午に関わると俺は犬にからだを乗っ取られる。いや、からだではなく感情を動かされるんだ。
だから、キスした時。
俺は一人でボケとツッコミの二役をこなしていたんじゃないだろうか。
それなら、あの時の行動に犬は関係なかったと言う事になる。
俺が自分の意思で正午にキスした、これってつまり好きだって事だろ。

ボソボソとそう説明すると、面倒くさそうな溜め息が返って来る。
本当に酷いな、お前は。
俺がいとこだからか、それとも男だから相手しないって事か。

「その気持ちが犬の感情に左右されているものかも知れないじゃないですか。じゃなかったら一時の気の迷いって奴ですよ」

そこまで否定するか、普通?
だとしても俺だって引く気はない。気の迷い、大いに結構。

「押し付けるつもりはない。でも、さっきの話を聞いた上で思うんだが、俺は結婚しない方がいいだろう」
「そんな先の話……」
「先だろうが後だろうが関係ない。俺は一生結婚しないし、女とも付き合わない」

うっかり子供が出来たら、狐に呪われるかも知れないんだ。そんな可能性は排除しておくに限る。

「それはお好きなように」
「そもそも、犬はお前の物だったって言ってたよな。名前付けたのもお前なのか?」

被せるように質問すると、気まずそうに正午が目を逸らす。
何やら痛い事を聞いてしまったらしい。
これまでの仕返しではないが、調子に乗って更に質問を重ねる。

「漢字は違うらしいけど、読みで言ったら俺と同じだろう。少し紛らわしくないか」
「面倒臭い」

唐突とも言えるタイミングで正午がそう呟く。
俺の事か?
他に思い当たる事がないんだから、やっぱり俺が面倒臭いって言ったんだろうな。幾ら何でも傷つくぞ。

「名前のないものを呪う事は不可能です。だから名付けるという行為は呪いと同じです。簡単に言うと、シロウという音でもって、犬を司郎と同調させたんです」

よく分からないけど、言霊って奴か……言うと本当の事になるって奴だろ。何か違う気もするけど、俺にはそれ以上の理解は無理だ。

でも、これで分かった。
コイツはこの家に来てから犬を育てたんだろう。俺を守る為に。

「だったら、俺はお前をずっと口説く」

正午が投げやりに言うのと同時に宣言する。
俺の知らない間、ずっと守ってくれてたんだ。しかも、それは物心ついたかどうかって頃だ。
そんなのどう考えても感激するに決まってる。
コイツが何を思って、俺に犬を憑けたのかは分からない。でも、そこに好意が全くなかったとは思えない。寧ろ俺のこと大好きだろとしか思えない。

因みに俺は大好きだ。

ひっそりと片思いされるとか、何それオイシいとしか思えない。一歩間違えればストーカーかも知れないけど、俺はそういうシチュエーションに弱い。
あと、強いて言うなら正午が俺の好みのタイプだからってのもある。
顔が小綺麗だし、性格はツンデレだし。
まぁ、男でいとこってのは本来ならあり得ないと分かっている。でも、俺の場合、女と付き合えない訳だから障害にはならない。寧ろ、事情を知っている正午に俺が惚れたのすら運命としか思えない。

最初は何を言われたのか分からないといった顔でマジマジと俺を見つめていたが、徐々に呆れたとでも言うように冷ややかな目つきになって行く。それすらも可愛く思えるのは惚れた欲目って奴か。

「……バカですか」
「知らなかったのか、恋すると男はバカになるんだよ」

そう言うと、暫く間をあけてから正午が笑い出す。
生意気そうでもなく、皮肉な感じでもない。
年相応の柔らかで明るい笑い声だった。




夏休みも後半に入り、補習を受けるために学校へ行くと旧校舎はなくなっていた。
計画では新しく部室棟を建てるらしいが、今は更地になっている。
それを見て、本当に終わったと安堵するのと同時にほんの少しの淋しさも覚える。

佐倉小花はちゃんと帰れたらしいけど、花子さんはどうだろう。教頭が死んだ事で恨みが消えて成仏してくれてたらいいな。

そんな事を考えながら教室へ向かうと、先客が一人いた。
エアコンの入っていない暑い日だ。何もしなくても汗が流れると言うのに、そこに座っているのは長袖姿の少女。セーラー服と長い髪。

「え……」

何でここにいるんだ?
頭が真っ白になって来た道を回れ右して戻る。
廊下を歩きながら携帯で正午に電話を掛けると、コール音二回目で出た。

「何ですか」
「いるんだけど!」
「何が」

押し殺した俺の声に煩いとでも言うように素っ気なく聞き返して来る。生意気な奴だ。
でも、今はそれどころじゃない。

「花子さんだよ!」

成仏したんじゃなかったのか?
お前が終わったって言ったんじゃないか!!

「教頭の死因は心不全でしたよね、もしかしたら本当にただの病死だったのかも知れませんね」
「それがどうしたって言うんだよ」
「取り殺す筈だった相手がいなくなって花子さんは旧校舎に縛られなくなったんじゃないですか」

だからって、何で俺のクラスに!
地縛霊やめて浮遊霊になったとでも言うのか……でも、どうして俺の席に座ってるの!!

「司郎には犬と狐が取り憑いている訳ですから呼び寄せてしまったんでしょう。大丈夫ですよ、何かあったら犬が追い払ってくれますから」

そういう問題か?
邪魔だから追い払うって、幽霊をハエとかと同じ扱いにしていいのか……?

「放っとけばそのうち消えますよ」

それじゃ、と言って電話が切れる。
こっちの話なんか聞く耳持たないって感じだ。
おそるおそる教室に戻り、そっと中を覗く。
俺の席に座った花子さんは机に手を乗せてボンヤリしているようだった。
足を取り戻したからか、全身塗れていた血も消えていて、何て言うか普通だ。
でも、存在感って言うか影がない。やっぱりどう見ても幽霊だ。

うわぁ、イヤだー。怖いよー。

声に出さず駄々を捏ねていると、花子さんがふと俺を見る。
そしてニッコリと笑う。

気の所為かな、何だか目があってるようなんだけど……まさかね、アハハ……。


(了)
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